東北大学文学部創立八十周年記念講演(2002年10月26日)

想い出の東北大学、そしていま、みちのく

青森県立図書館館長青森県文化アドバイザー  鈴木 健二 氏
(昭和27年、(旧制)美学美術史学科卒業)
鈴木氏の写真

阿部先生の「三つの敬虔」

私の実家はもともと墨田川のほとりで代々小さな商売をしていた。みちのくに まったく縁がなかった自分がなぜ東北大学に入ったのかというと、 昭和20年3月10日の東京大空襲が契機になった。ちょうど今の両国国技館の近くに 生家があった。中学1年のときに戦争が始まった。病弱な子どもだったし、理由も なく殴打される軍隊に行くことに非常に恐怖感があった。「非国民」と呼ばれたり しながら憂鬱な少年時代を過ごしたが、15歳のときに吉田絃二郎先生の 「若いというのはそれだけで美しいことである。一人の人間の魂を獲得することは、 星の世界のすべてを手のなかにおさめるよりも、はるかに尊く難しいことである」 という2行に救われた。戦場に行って国のために死ぬことだけが生きる全てでは ない、人間には魂があることを知った。その直後、阿部次郎先生の『三太郎の日記』 を手にした。阿部先生はゲーテの『ヴィルヘルムマイスター』を非常に愛し、 その中の「三つの敬虔」を常に標榜されていた。「天に対する敬虔、地に対する 敬虔、そして自己に対する敬虔、美しく清く高いものを目指す心と、小さく 力弱きものを愛をもって労る心、この2つによって包まれた自己の尊厳を守り抜く ことが大切である」と説かれた。この言葉にも私は大きな衝撃をうけた。最近 阿部先生の三女の大平千枝子さんも、弟の「敬吾」さんについて書かれた エッセーで同じことを引用しておられる。

弘前高校時代

中学を卒業して、戦争で死ぬまでせめて静かに本を読んで過ごしたいと、 傷心と厭戦思想を抱いて、累々たる焼死体がころがる焦土の東京を後にして旧制 弘前高校に入学し、北溟寮に入った。窓を開けると、青空と津軽富士のもとに りんご畑がひろがっていた。思わず涙ぐんだ。これでも戦争をしているのか、 という静けさがあった。生まれて始めて静けさを知った。社会の根幹は静けさに ある、静けさがセルフコントロールを可能にする、これがこのとき以来の私の 確信である。

高校に入ってまもなく戦争が終わった。寮の委員長を4期2年間やり、 まったく授業に出る暇もない忙しさだった。寮生600人を食べさせるための食糧の 調達が最大の仕事で青森県内はもちろん、東北中を駆け回った。ビリの成績 だったが、寮のまかないさん達に助けられてようやく卒業できた。卒業後も寮に 残って仕事をしていた。戦争が終わって、あらゆる規約の改正が必要になった。 寮の規約改正の委員長とクラブ活動を再開させるための学友会の委員長もやった。

寮の新規約の第1条に、「北溟寮の根本精神は愛である」と書いた。 あまりにも軟弱である、キリスト教の学校でもないのに、と囂々たる非難を うけたが、半年かかってようやく認められた。中学時代に阿部先生の教えに 出会ったことが背景にある。阿部先生は、美濃部達吉、滝川幸辰と並ぶ 自由主義者で、当時、軍の上層部では「阿部次郎の弟子は幹部候補生の試験に 合格させるな」と言われていたという。阿部先生は軍人たちを前にして、戦場へ 征く学生への壮行の辞として、「君たちの本分は戦場にはない、君たちの本分は 学問にある。君たち全員が戻ってくるまで、私は大学を死守する」と述べられた という。

太宰治と石坂洋次郎

弘前高校に入ってもっと静かな所に行きたいと、ふらっと津軽鉄道に乗って 金木町で降りたことがある。寮に先輩たちの文集があって、その中に津島修治と いう人が面白い文体の小説を書いていた。「津島」という大きな家があった。 たずねると、ちょうど数日前に太宰さんが焼け出されて東京から戻っていた。 生前、太宰治さんには3回会ったことがある。寮の規約改正で文部省に 行った帰りに高田馬場で偶然会った。ひどい咳をしていた。それが太宰さんに 会った最後である。その前に中央線の三鷹のホームで会ったこともある。当時は 30分に一本程度と列車の本数も少なかったが、なぜか太宰さんが電車に乗らない。 自分もあわてて降りて、「なんで乗らないんですか」というと、「白い紙くずが 落ちているだろう。あれが、みんなの足の間を舞っていて、それがあんまり きれいだった」という返事だった。太宰さんの全作品に共鳴するわけではないが、 そうした美的センスは好きだ。

クラブ活動も再開させなければならなかった。戦前の学生演劇は即ちアカ だったので、演劇部の再開は学校側がどうしても承知せず最後になってしまった。 部員四人で始めた。弊衣破帽のままですむのでゴーリキーの『どん底』などを やった。このエピソードは、石坂洋次郎の『青い山脈』に数行出てくる。20年ほど 前に某紙に『青い山脈』のモデルは、鈴木だと書かれたことがある。すでに先生は 重病の床にあり、直接確認はできなかったが、当時女人禁制の寮にはじめて 女子学生を呼んだとか、私がやったことを石坂先生に話したことがあり、それらが 『青い山脈』に出てくる。太宰治と石坂洋次郎、という二人の先生に出会い、 私は津軽の文学的伝統、内省的な私小説の伝統を意識するようになった。

棟方志功さんとねぶたの中継をしていて、そのとき、棟方さんが「ねぶたの 灯がどんどん遠く去って、小さくなって消えると、津軽のいろりにぽっと火が ともるんだ」と話された。ねぶたについて語ったこれ以上美しい言葉を 私は知らない。

阿部先生の「愛」の教え

私は憧れの阿部次郎先生がすでに退官しておられるが、1年に一度ぐらいは 講義をされることもあるらしい、という話を聞いて、東北大学を選んだ。当時 阿部先生は白内障と脳梗塞に悩まされていた。先ほど阿部次郎記念館を たずねたが、掲げられている土門拳さんの写真の阿部先生は、まさに私がお会い した頃の66歳の先生だった。私の記憶では63歳だったのだが。授業は 受けられなかったが、「君は美術史の卒業生だというので、今後、美術品の批評を 求められることがあるだろう、どんなにつまらない作品でも、持ち主にとっては 命にもかえがたいことがある。たとえ贋作であっても、決して悪く評価しては ならない。作品にはどこか一点かならず良いところがある。それを見つけて誉めて あげなさい。人間も一緒だ。批評とは誉めることだと思いなさい」。この言葉が 私にとって阿部次郎先生との最高で、唯一の思い出である。それからの人生に 大きな影響をうけた。

高校時代に戦争で親を失った子どもたちのいる施設にふらっと立ち寄った ことがある。12歳の言葉を話せない知的障害者の女の子が68人全員分の洗濯を 一手に引き受けていた。お礼をいうと、一瞬目がきらっと光ったように思った。 私はその冷たい手を懐に入れてあたためてあげることしかできなかった。しかし、 その子の洗濯する姿から人間の生き甲斐を教わった。反省にもとづいた向上心と、 人のために奉仕をする心である。いつかあの子の鎮魂歌をかなでたい、いつか あの子のように生きたいと思うようになった。

仙台では「広瀬川橋の下五番地」という住所に下宿した。医学部に入った 弘前高校時代の友達が急にやってきて明日の医学部の演劇に出て急病で倒れた 端役を手伝ってくれといわれたが、行ってみると、実は主役の堕胎医だった。 それを機に演劇にかかわるようになった。3年前に東北大学演劇部の50年間を まとめた『古い顔の歌』という本が出たが、大学の3年間は演劇尽くめだった。 美術史と演劇のおかげで私は美とは何かとか、舞台の構造の基本などを学ばせて いただいた。それがテレビがはじまって役に立った。現在のテレビ局の何を どんな風にとるかとか構図の基本は、私が2年間スタジオにこもって勉強した データをもとにしている。

まだラジオだけしかなかった頃からテレビを通して36年間働いたNHKを 退職した直後から、熊本の県立劇場で村おこしのボランティア活動をやり、 20時間の徹夜のお神楽を復元したりして、全国に伝承芸能復元ブームを巻き起す ことが出来た。その一方で、今こそ阿部先生から教えられた愛と自分自身を みつめる心を試そうと、健常者と障害者が一緒に1年間音楽を練習して、 オーケストラの伴奏で大合唱する「こころコンサート」をこれまでに全国で5年の 歳月をかけて、8回上演した。最高は1万2千人の愛と感動の大合唱であった。 これによって障害者の才能とひたむきに生きるすばらしさを知ってもらおうとした。 53歳の両手両足が使えない女性も舌でキーボードを演奏した。このグループは、 彼女が書いた「自分の足で大地を踏みしめ、私にこの輝かしい生命を与えてくれた 母の墓にお参りしたい」という詩をもとに合唱した。この詩を見たとき、 阿部先生の言葉がまず浮かんだ。

今青森県立図書館の館長だが、津軽ほど文学と風土が一体化したところはない、 と思う。

仙台ではサンプラザの設計段階からお手伝いし、完成後の1年間プログラムの お手伝いをして恩返しをした。これらの活動の根底には、阿部先生の「愛」の 教えがある。

(要約者:文学部教授・長谷川 公一)
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2003-09-01T14:49:55+09:00
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