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臨床宗教師を求めて(4)〜井形英絵さん

「臨床宗教師」とはどのような存在なのか? 色々な方の思いを聞かせていただいています。

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仏教徒を看取る
クリスチャンではない、仏教のお家の方の最後の日々に寄り添わせていただいたことがあります。私は牧師として迎えられたわけではなく、たまたま3.11の後に教会を避難所として開放していた時の出会いから機会が与えられました。震災後しばらくお会いしていなかったんですが、1年ほど後状態がお悪いということをお聞きして、ああ申し訳なかったと思い、伺うようになりました。抗ガン治療をこれ以上できないということになって、入院されていた病院が岡部先生のところと関係が深かったこともあって、最後の一ヶ月を在宅ですごされることになりました。
 私がうかがうようになって、ある時「お祈りしていいですか?」とお聞きしたら「どうぞ」とおっしゃって下さったので祈りました。一緒に祈るときに、その方に何が起こっているかわからないんですけど、何かがほぐれるようなんです。張りつめていたものとかが。涙が出ていたようでした。


人生を物語る役割
 その人の人生を、痛みも含めて物語る。その物語にまわりの人が関わってくれるという感じがしたんです。キリスト教では、神に創られて、愛されて、支えられて、召されていく人生は一回です。あなたの人生は本当に覚えられた人生だった、そして感謝をして、ありがとうと言って、よく生き抜かれました、その生き抜いた先が死ですから、生かされた命を生き抜いたということを宣言していく人が必要だと感じました。


<<井形英絵(いがた・はなえ)さん・・・日本バプテスト連盟南光台キリスト教会牧師。>>

※井形さんのインタビューの詳細は、近日刊行予定の『実践宗教学寄附講座ニュースレター』第1号に掲載予定です。

Café de Monk RADIO 2012 井形英絵 (エフエム仙台 2012年1月14日放送)

臨床宗教師を求めて(3)〜宇根節さん

「臨床宗教師」とはどのような存在なのか? 色々な方の思いを聞かせていただいています。

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自分の信仰を広げきる

「死に向き合えば向き合うほど、自分の宗教から余分なものがどんどんそがれていくと思うんですね。自己主張もなかなかできなくなって、なおかつ、死に向き合ったときにスピリチュアリティなケア、宗教的なケアになっていったら、〔ケア対象者と〕必ずしも同じ宗教でないのは当たり前になるんですね。その時に、その人の宗教を尊重できるお坊さん。自分の信仰をひろげきれなかったら向き合えない。そういう臨床宗教師ができるなら好きになると思います。自分の宗教であったり、教義であったり、檀家であったり、そういうものに縛られない向き合い方ができ、なおかつ援助者になれるんであれば、すごいと思います。そういう人がいるんであれば、好きになると思います。」

「心のケア」だけではつながれない

「突然来た私が、心のケアできますよ、といってもつながれなかったです。「心のケア」と書いた札をつけていても、話を聞いてください、ケアしてください、と来る人はほとんどいなかったですね。それよりも地道に地道に、この人たちにつながろう、コミュニティの一員になろうということだけを考えて毎日避難所に通い、毎日道に座り、そこにいるのが当たり前、というようになるのが先。少しずつ少しずつそこから話す人ができたり、話してもいいという人が現われました。」

<<宇根節(うね・たかし)さん・・・カトリックの司祭という経歴をお持ちで、カリタス・ジャパン釜石ベースキャンプ「心のケア」コーディネーター、スピリチュアルカウンセラーとしてとして活動されています。>>
※現在の所属は「パストラルケアセンターHUGハウス」(2013.3.29追記)

臨床宗教師を求めて(2)〜金田諦応さん

「臨床宗教師」とはどのような存在なのか? 色々な方の思いを聞かせていただいています。

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臨床宗教師とは

◎ 社会で起るあらゆる出来事を整理し理解出来る人
◎ その出来事から起こりうる人間の喜怒哀楽を理解できる人
◎ その喜怒哀楽から起こりうる人間の心の動きに対処できる人
◎ あらゆる土地の歴史や精神風土や信仰を理解できる人
◎ あらゆる宗教・信仰の有り様に精通している人
◎ あらゆる儀式とその意味について理解し、そして行える人
◎ 対象者の価値観から物事を考えられる人
◎ 対象者が語る物語に虚心に耳を傾けられる人
◎ 対象者の価値観から解決への物語を構築できる人
◎ 自己の信仰に基づき、自己のスピリチュアリティ維持についてストイックな人
◎ 自己と他者の境界線が限りなく透明な人
◎ 自分自身で現場を見つける能力を持った人
◎ 限りなく遠い宇宙の彼方からの視点を持っている人
◎ 限りなく人間という存在が愛おしい人

   そういう人が臨床宗教師であると考えます。


<<金田諦応(かねた・たいおう)…通大寺住職・心の相談室理事・実践宗教学寄附講座運営委員。移動式傾聴喫茶カフェ・デ・モンクを運営する。>>

Cafe de Monk RADIO 2011 金田諦應(エフエム仙台 2011年10月1日放送)

臨床宗教師を求めて(1)〜岡部健さん

「臨床宗教師」とはどのような存在なのか? 色々な方の思いを聞かせていただいています。

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公共性をもって現場に入り、闇に降りていく道しるべを示す宗教者が必要だ。

緩和ケアを行なう医者としてやってきて、医療現場に宗教者が必要であると感じてきました。死を前にした人に対して医者ができることは合理的な範囲の治療だけです。あの世のことまで医者が耳を傾けようとしたらつぶれてしまう。戦後の日本では、宗教や死生観について語り、闇に降りていく道しるべを示すことのできる専門家が死の現場からいなくなってしまった。公共性を担保したうえで、医者とチームを組んで現場に入れる宗教者が必要です。そのために、宗派を超えて宗教的儀礼ができる、日本人の宗教性にふさわしい日本型チャプレンのような存在が死に向かい合う現場にいることができるようになればと思っています。

<<岡部健(おかべ・たけし)…医療法人社団爽秋会理事長・心の相談室室長・実践宗教学寄附講座運営委員>>

Cafe de Monk RADIO 2011 岡部健 (エフエム仙台 2011年10月15日放送)

臨床宗教師を求めて

 実践宗教学寄附講座では、宗教宗派の立場をこえて悲嘆と向かい合う人々の宗教的ニーズにこたえられるような専門家である「臨床宗教師」(仮称)を育成する試みに着手しています。
 臨床宗教師とはどのような存在であるべきなのでしょうか。このコーナーでは、被災地などでの現場経験をお持ちの方々をはじめとして、諸方面の方々のご意見やご感想を掲載していきたいと考えています。
 臨床宗教師育成のためのヒントとさせていただくとともに、多くの方々に関心を持っていただくきっかけとなれば幸いです。

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