社会学をとおし
「希望」を語り伝えたい

卒業生に贈る言葉 2004年度

1
社会学を学んだスーダンの青年

 「エミール・デュルクハイムでしょう。マックス、えーと、マックス・ヴェーバーでしょう。カール・マルクス。マルクスはすごい。マルクスは好きだ」。 You were a good student と私が返すと、彼は、突然少し声をうわずらせて、「それなのに、今はタクシー・ドライバーだ」を自分の運命を嘆きだした。

 2004年10月17日日曜日の深夜1時過ぎ、ウィスコンシン大学での研究報告を終えて、片道5時間以上かかるグレイハウンド・バスで帰ってきて、ミネアポリスのバス・ターミナルに着くと、「タクシーか」と声がかかった。乗車すると、まず中国人かと聞かれ、ミネアポリスで何をしているのかと聞かれて、日本からの visiting professor で、社会学を教えていると答えると、自分も社会学を勉強したんだ、社会学は好きだった、「ジャン・ジャック・ルソー、社会契約、社会契約はいい」という答えが返ってきた。どこで勉強したのと聞くと、スーダンのロー・スクールで社会学を勉強したのだという。法律が主専攻だったが、副専攻として社会学をとらなければならなかったのだという。ルソーに続いて、デュルクハイム、ヴェーバー、マルクスと三大巨匠の名前が来た。アブデル・アミン、フランクなど、従属理論の理論家の名前が続く。社会思想史と従属理論も勉強したのだろう。彼の学んだ教師たちはおそらくスーダンが植民地として支配されてきた歴史を、こうした社会思想や社会学、従属理論と絡めて教えたのだろう。この青年にとって、学生時代に学んだ社会学は祖国の歴史と植民地支配からの解放の意味を再認識し、祖国と自分自身の未来をきりひらく希望のシンボルだったのではないか、と直感する。

「マータイ知っているか」

 ミネソタ大でどんな社会学を教えているのかと聞くので、環境社会学と答えると、「それはいい。マータイはすごいぞ、マータイ知っているか」。ケニアの女性活動家マータイは、その9日前の10月8日にノーベル平和賞の受賞が決まったばかりだった。彼女は、当時のケニア政府の迫害にあいながらも、 1980 年代後半からアフリカ中に 3000 万本も植林してきたのだ。自分のいとこは、スーダン環境保護団体のリーダーなんだ、自分のいとこも、マータイたちの影響で、国中に木を植えているのだという。
 マミネソタ州議事堂 2004. Aug.ータイはアフリカの人びとの誇りなのだ。ノーベル平和賞の選考委員会は、本当に素晴らしい選択をした、とタクシーの中で思った。
 スーダンは 1983 年から内戦が続いている。ミネアポリスには、同じように内戦が続くソマリアからの難民も多い。イスラム教徒の彼女たちは黒い衣装で全身をすっぽり覆っている。ソマリアやスーダンから来た男たちの代表的な仕事はタクシーの運転手である。タクシー・ドライバーのほとんどは、ソマリアかスーダンからの難民であるといってもいい。

心の中に木を植える

 マータイは砂漠化防止のために植林運動をすすめてきたが、授業をするというのは、教えるというのは、ある意味では人びとの心の中に、木を植えることかもしれない。社会学という「希望」の樹木を。

2 
授業で水俣病を語る 

 9月はじめから12月半ばまで、安倍フェローとしてアメリカで研究するとともに、秋学期の間、ミネソタ大で、 Sociology of Environment, Energy and a Sustainable Society という題目で週2回計30回の環境社会学の授業をした。英語でアメリカの学生たちに講義をするのは、はじめての経験である。母国語に頼れないだけに、また暗黙の前提としがちな日本的常識や学生たちの予備知識に頼れないだけに、あらためて授業をするというのがどういうことなのか、教育の原点がどこにあるのかを考えさせられた得難い経験だった。

 一番辛かったのは、胎児性水俣病について語ったときである。第5回目の授業で、日本の環境社会学の背景として四大公害問題、とくに水俣病について説明した。母親の体内の有機水銀が胎盤を通じて胎児を汚染するという胎児性水俣病が、医学の常識からみても、いかにショッキングな出来事だったかについては、水俣病の患者たちと長年向きあってこられた元熊本大学医学部の原田正純先生から直接詳しく話しをうかがっている。長い進化の歴史の中で子宮は有害な物質から胎児を守る障壁としてはたらくはずなのに、人類にとって未経験の有機水銀は子宮の障壁をくぐり抜け胎児を高濃度に汚染したのである。

障害のある学生を前にして

 ところが、準備の途中で意識したのは、受講生の中に、左手が先天的に奇形の男子学生がいることである。その学生はとりわけ熱心に聴講し、質問もし、とても優秀なのだが、彼の心中を考えると、どこまで触れていいのか躊躇せずにはおれなかった。直前に私を招いてくれたホスト役のブロードベント教授に相談すると、彼もそんなシビアーな状況に遭遇したことはないという。母国語に頼ることはできない。語彙の乏しい舌足らずの英語での講義である。この学生から、あるいは他の学生から、なぜこの問題に触れたのか、万一クレームがあったときに、教室で、あるいは事後的にどう説明できるだろうか。しかし逃げずにやるしかあるまい。この学生がこちらの意図を正しく理解するだろうと思うしかあるまい、教師としては。またクラス全体のことを考えると、教師は、過剰にこの学生の障害のことを意識すべきではないだろう。少人数のクラスである。ほかの学生がこの学生の障害をとくに意識するようなことになるとそれは最悪である。

 問題の箇所に来たとき、他の学生はとても興味をもって集中して聴いていたが、彼は、うつむいて、ちょうど回覧していた水俣病の歴史を叙述した英語の参考文献にもっぱら見入っていたようだった。私はその学生をあまり意識しないようにして、とにかく授業をすすめた。また力点を近年の水俣の地域再生の話にもおき、悲劇を克服しようとしている 90 年代半ば以降の地元の取り組みに大幅に時間を割いた。
 木曜日、次の授業の折、終了の時間になると、彼は歩みよってきて、 Koichi, have a nice weekend! といって教Minneapolis, 2005. Jan.室を出て行った。終了時間に学生から挨拶されたのははじめてだった。逃げずに、授業をやった姿勢が、彼にちゃんと伝わったのだと、確信した。 1人残った教室でコンピューターを片づけながら、涙が一筋こぼれた。もちろんこの学生は、障害を早期に精神的に克服しているからこそ、ミネソタ大に通う今日があるのだろう。
 受講した学生には計3回サマリー・ペーパーを課したが、この学生はもっとも熱心な学生の1人で、レポートの出来も一番良かった。
 マイケル君というこの学生は、政治学専攻の4年生だが、卒論で、私とブロードベント教授がやっているミネソタ州の風力発電の問題を取り上げることになった。しかもミネアポリスの最後の土曜1月29日の夜にブロードベント教授が呼びかけて開いてくれた送別会に彼も来てくれた。カンザス州出身の本当に気持ちのいい青年である。

 最後の時間に、学生たちに、メイルで授業内容とティーチング・スタイルおよびティーチング・スキルについてコメントを送るよう求めたが、以下が彼のコメントである(原文のまま)。


Professor Hasegawa:

Below are my comments for your Environmental Sociology course this semester. Let me say that I very much enjoyed the course -- the experience definitely built upon and further developed my vocational direction.   Thank you!

With best wishes,

--Michael

Topics:
The topics covered in my course were balanced in depth and diversity. Professor Hasegawa's international experience in discussing cases from around the world, while drawing on his specific expertise from Japan provided many valuable perspectives on the course material.  

Teaching Style:
Professor Hasegawa has an inclusive lecture style, in which he often pauses for questions.   However, I have a suggestion adopted from other courses that may make the class more inclusive and engaging.   An added discussion priod at the end of lecture would be helpful, during which students discuss a particular test case, and present solutions that each student prepared prior to class.  This would add an inclusive element to the course other than relying on the lecture.

Skills:
Professor Hasegawa's wide international experience provides expert testimonial from around the world, making this class possible.   A typical professor could not have taught this course.  

3

 卒業する君たちの多くは、制度的な「学校」というものを、これで終えることになるだろう。君たちにとって、学校はどんな場だったのだろうか。東北大学での4年間で、社会学研究室での3年間で、君たちが得た最大の収穫は何だったろうか。

希望を語り続けたい

 学習や教育の原点は、「希望」を伝えあうことにあるのではないか、と、この2月1日にミネアポリスからオランダに戻る途Minneapolis, 2004. Oct.中、ちょうどスコットランド上空で朝焼けのドラマを見つめながら、私はあらためて思った。幼稚園から大学・大学院まで、どのレベルでの学校でも、どのレベルでの教師でも、どんな科目でもおそらくそうだろう。社会学を専門にする私は、とりわけ社会学をとおして、中心的な研究テーマの社会紛争や社会運動、環境社会学をとおして「希望」を語り伝え続けていきたいと思う。
 これが、日本を離れて8ヶ月あまりでの、私のあらためての決意であり、卒業する君たちに贈る言葉である。

2005年2月2日(ミネアポリスから戻った翌日に)
ワーヘニンゲンというオランダの大学町にて