歯磨きできる倖せ

卒業生に贈る言葉 2010年度

手術後の歯磨き

 「さっぱりしますから、歯磨きしましょう」と当直のベテランの女性看護師がいう。全身麻酔での手術が終わってからまだ3時間余りしか経っていない。唐突に思って「今日は朝から何も食べていませんから」と固辞したが、「口の中がさっぱりしますよ」となおいうので大人しく従った。介添えされ、横になりながら歯磨きをした。全身麻酔から覚めて最初にした作業が、最初に許された積極的な動作が歯磨きである。今(1月30日)も入院中で、毎日歩行訓練などのリハビリに励んでいるが、この歯磨きのシーンをよく思い出す。

まどろみから醒めて

 1月19日午後2時直前、手術室へ。ナースらが刻むベッドを運ぶリズミカルな足音、次々変わる天井。転倒した16日の前日に子どもにつきあってみた『相棒 劇場版 パート2』の続きでも見ているようだ。背中に部分麻酔をしたあと、いよいよ全身麻酔に。酸素マスクがあてがわれ、「眠くなります」という言葉を聞くやたちまち意識が遠のいた。目醒めると、手術は終了しており、スタッフはみんな笑顔だった。生きている、無事だった、と安堵した。打撲し、骨折したあとの嫌な疼痛は消えていた。自転車で走行中に転倒して骨折した股関節の右大腿骨頚部骨頭を人工骨頭に置き換える、全体で約3時間の手術だった。
 半ばまどろみながら、病室に戻され、妻の顔を見、安心してまたまどろむ。まどろみから醒めると、四肢の端々からあたたかい血が少しづつ心臓に向かって戻ってくるように感じられた。「生きていてうれしい。素直にうれしい」と強烈に思った。赤ん坊を抱いたときのような温もりを、自分の身体の内側から感じた。フォーレの「レクイエム」の旋律を心の中で反芻する。母性的なものに包まれて〈生命が覚醒しつつある〉という感覚が心地よかった。さらに断続的にまどろんだあとに、この歯磨きが続いた。
 直前まで受けていた酸素吸入装置。点滴。尿を排出する尿道カテーテル。背中にも痛み止めの薬をいれる装置がついている。全身が幾つも、ものものしい管や装置につながり、半ば人工的に生かされているようだった。
 あとで振り返ってみると、全身麻酔による手術という極限的な〈非日常〉から、〈日常〉に戻る第一歩が、夜中の歯磨きだった気がする。手術は無事完了しました、安心してください、落ち着きましょう、日常に戻るんですよ、体を労りましょう、という隠されたメッセージがあったのではないか。大丈夫ですよ、もう歯磨きできるぐらいの余裕はあるんですよ、というメッセージが。
 それ以来、入院中は時間に余裕があるせいもあって、いつも以上に時間をかけて、3度3度丁寧に歯磨きを心がけている。幸い手術当夜以外は、ベッドの高さを調整して自力で歯磨きをした。歯磨きできる倖せは、生きていることの証なのだ。
 股関節の手術では、排泄の処理も難題である。術後当初は、大便にも介添えが必要であり、小水は、膀胱に貯められることなく、自動的にカテーテルをつうじて排出される。手術から5日後、尿道カテーテルが外されて、立って、自力で腹圧をかけて小水できたときの喜びも大きかった。

立ち上がる・歩く

 転倒して右股関節頚部を骨折した私の場合、目下最大の課題は、自分の脚で歩けるようになることだ。当初は歩行器を使って、27日からは杖をついて、歩く練習をしている。通常は1歳時前後からできる「歩く」という動作を、もう1度最初から確認し直し、重心の移動、なめらかな脚の運びを学習し直している。術後の大きな不安の中で、まず立ち上がるというヤマがある。実際たちまち立ちくらみしてしまった。続いて歩行器を使って歩く練習をはじめた喜び。杖をついて歩きだして、どんどんバランスがとれて、スタスタと歩めるようになった喜び。昨日29日、医師の勧めで、杖を離し、自力で約20m歩けたときの大きな感動。昨日はできなかったことが、今日はできるようになるという日々の喜びは、何事であれ、どんなに素朴なことであれ、大きい。忘れていた生の原点をここでも再確認させられる。
 こうしてみると、赤ちゃんが小学校入学頃までにはたすべき成長の課題を、手術後の数日から2・3週間のうちに、学習し直しているような感がある。むろん、骨折したのは右脚股関節だけなので、頭や両手は正常である。

「病床六尺」のベッドで

 俳句が趣味なので、突然の強制的な3週間の「休暇」の中で、先達の句集を繰り、入院生活の悲喜こもごもや哀感を自作の句に詠むことが目下の無聊の慰めでもある。推敲する楽しみも大きい。1句1句が独立し、17音と短い、俳句という形式は、病床に似合う詩作でもある。ベッドの上で長いものを書くことは辛いが、17音を「舌頭千転(ぜっとうせんてん=何度も口ずさむこと)」し、メモすることはたやすい。当時不治の病の結核、さらにはカリエスに冒され、35歳で夭折した正岡子規は「病床六尺」の寝床の中から、近代俳句と近代短歌の革新をなし遂げ、近代口語文の誕生にも大きく貢献した。手術の翌日、長谷川櫂『子規の宇宙』(角川学芸出版)を読んで、感動が大きかった。石田波郷、石原八束はじめ、病と俳句の間には密接な連関がある。
 生きている喜び。命があり、おのが身体にあたたかい血が流れて、全体として生命系として活動しているということの再認識。歯磨きや排泄に象徴されるようなささやかな日常の意義の再確認。快復への意志。リハビリの努力。家族の支え。思いがけない入院生活の中にもいろいろな学習や再確認があった。私自身のものの考え方や根本的な性格を、精神的な強さや弱さを、怪我による入院という極限状況の中で、反省してみる好機でもあった。

まもなく社会復帰へ

 その方のお宅近くの路上で転倒して立ち上がれないでいる見ず知らずの私を助けて、私の自宅まで車で届け、すぐに救急車を呼んでくれたのは、地域の方でした。東北大学病院の整形外科の優秀なスタッフのみなさん、東北大学病院の整形外科での手術を強く勧めてくださった息子の小学校の同級生のお父さん(医師でもある)、医学部OBの先生はじめ、多くの人に助けられました。あらためて、多くの方の善意とご厚意、励ましに支えられて、まもなく社会復帰できますことを深く感謝いたします。
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 研究室の先生方、木村助手、石上さん、院生のみなさん、卒業生・学部生のみなさんにも、このたびの入院に関して、大変ご心配とご迷惑をおかけしました。お詫びと感謝を申し上げます。とくに受講生のみなさんには、予定していた最後の2〜3週分の授業を突然休講にせざるをえなくなったことを重ねてお詫びいたします。
 最後に卒業生のみなさん、歯磨きできる倖せを大事にしてください。健康の大事さや家族・友人などの支えの有りがたみは、病床にあってはじめて良くわかるものです。怪我にもご注意ください。「ご自愛ください」「お大事に」という美しい日本語を大切に守っていきましょう。


2011年1月30日記(この40日後、東日本大震災と福島原発事故が起こった)