永遠の旅人

卒業生に贈る言葉 2013年度

18ヶ国へ——もっとも海外出張の多い2年間

  2012年・13年はともに9ヶ国ずつ出張した。人生の中で、もっとも海外出張の多い2年間だった。ほぼ毎月のように海外出張している。国際学会などでの研究報告、今年7月に横浜市で開催する世界社会学会議横浜大会の組織委員会委員長としての国際会議への出席や打合せなど、仕事上の出張で、個人の楽しみの旅行ではない。それでも出国手続きを終えて国外に飛び立つときには毎回解放感があり、任務を終えて帰国便の飛行機に乗り込むときには大きな安堵感がある。まどろみかけた飛行機の中で、ぼんやりと来し方を思ったりするのも旅の妙味だ。
 数えてみると、これまで出かけた国は26ヶ国。国内は、徳島と高知の2県だけは足を踏み入れていない。

メイル・チェックの悲劇

 インターネットの時代なので、どこにいてもメイル・チェックせざるをえず、メイル・チェックした以上は、返信せざるをえない。海外にいるときぐらい勘弁してくれといいたい気分だが、そうもいかない。空港での待ち時間もインターネットにアクセスする。一昔前は国外に出ると日本の情報が手に入りにくかったが、今はネットでアクセスして日本の新聞もオンラインのTVニュースもどこでも見られる時代になった。日本からの情報を遮断することが難しい時代だ。
 はじめての海外旅行は34歳のとき。1989年、サンフランシスコで開かれたアメリカ社会学会大会に参加した折である。はじめて飛行機に乗ったのは、1980年北大で日本社会学会が開かれた折のことだ。25歳。旅については、ずいぶん「おくて」だった。第一お金がなかったし、楽しみとしての旅行をするだけの精神的な余裕もなかった。夏休みや正月休みに実家に帰省するだけで精一杯だった。

旅への憧れ

 行きにくいだけに旅への憧れは強かった。高坂知英という元編集者が書いた『ひとり旅の楽しみ』(1976年、中公新書、以下同)、『ひとり旅の知恵』(1978年)、『ひとり旅の手帖』(1983年)という三部作は、いずれも刊行されるとすぐに愛読した。司馬遼太郎の『街道をゆく』は文庫本で全巻持っている。ある街に出かける用事ができた折、その周囲を司馬はどんな風に書いているだろうか、とチェックしてみるのは何よりの楽しみだ。司馬は稀代の誉め上手でもある。金銅半伽思惟像・ソウル国立中央博物館

韓国・国立中央博物館

 仕事の旅でも、国内でも国外でも時間があると博物館に行く。博物館を見ると、その街の実力がわかる気がする。

 今はソウルに出張中で、ソウル国立大学のゲストハウスでこの小文を書いている。初日の17日も時間が空いたので、前々から行きたいと思っていた国立中央博物館を訪れた。この博物館の名品は2点の金銅半伽思惟像で、半年交替で1点ずつしか見せてくれない。今回私が見たのは、日月飾宝冠を持つ方で、アルカイックな微笑が魅惑的だ。ササン朝ペルシャの影響が強く、日本の仏像と微妙に味わいが異なる。17世紀の達磨図も素晴らしい。江西大墓の青龍模写図は迫力がある。高句麗や新羅の金冠・金製帯金具類なども印象的だ。韓国と日本の文化の歴史的な共通性と異質性を体感するのにとてもいい博物館だ。

インド・沢木耕太郎『深夜特急』

 年末は招かれて、南インドのマイソールという街で開かれたインド社会学会大会に出かけた。インドははじめてだ。おっかなびっくりの旅だったが、インドの社会学者に大歓迎され、写真に一緒に入ってと何度もせがまれ、ひとなつこさが印象的だった。

インド社会学会大会 どういう生活実感をもつ社会学者が横浜大会に来ようとしているのか、現地からの期待を肌身で実感したことが、組織委員長としては最大の収穫だった。6泊7日の短期間だが、感性や感受性の幅とか、包容力が少し増した気がした。繊細過ぎては、インドでは生きていけない。鈍感力や精神的なたくましさが必要だ。
 インドへ行く予習をかねて、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだ。インド編は、新潮文庫版の第3巻。読み出したら面白くて、出かける前に読み終えた。香港を起点に、ニューデリーからロンドンまでの貧乏バス旅行のルポルタージュだ。行きの便と帰りの便で、残り5巻と舞台裏を解説した『旅する力——深夜特急ノート』を読んだ。切れ味がよく、リズミカルな小気味よい文体だ。臨場感と壮絶な迫力で、バックパッカーの旅の高揚感、孤独感などを巧みに描き出している。 
 旅するうえでの私の取り柄は、行く街行く街を好きになって帰ってくることだ。旅の魅力は、いつもと勝手の違う非日常性にこそある。言葉や慣習、食事等々。いつもの自分の流儀に固執していては旅は楽しめない。旅する心は非日常を愛しみ、愛することにこそある。そして非日常性の楽しさ・高揚感は、帰っていく日常の場があってこそのものでもある。

人生という旅

 卒業生のみなさん、卒業は人生の乗り換え駅のようなものだ。今まではパック旅行のような、高校から大学へというかなり限定的なコースだったのが、就職となると、コースのバラエティがとたんに増す。人生はよく旅にたとえられるが、就職後の進路は、いつ、どこで降りてもいい。いろいろな乗り換えがありうる。片道切符の旅だが、やり直しも効く。配偶者という相棒を見つける旅でもある。これから本格的に始まる、「人生という旅」を存分に楽しんでほしい。
 旅で好きなのは、空いた時間をどう過ごそうか、任務を終えたあとの時間をどう過ごそうか、時間と予算を考慮して、あちらにしようか、こちらにしようか、無責任に迷うひとときだ。眼前の選択肢を考えることほど、贅沢なことはない。
 「月日は百代の過客にして行き交う年も旅人なり」。『奥の細道』の冒頭だが、「百代の過客」の英訳は、eternal traveller、永遠の旅人だ。「永遠の旅人」として、いつまでも旅心を忘れないおとなであってほしい。

2014年1月19日ソウルにて