ことばのちから詩の力──再読・茨木のり子

卒業生に贈る言葉 2011年度

とんでもないところから青空なんかが





       わたしが一番きれいだったとき
       街々はがらがら崩れていって
       とんでもないところから
       青空なんかが見えたりした  
       (「わたしが一番きれいだったとき」より)


 石巻や女川を訪れて、津波で嬲られた建物のとんでもないところから青空が見えると、にわかに、茨木のり子のこの詩を思い出した。1926年生まれ、敗戦時20歳の1人の女性が「言葉の力」で、見事に全身で戦争と対峙し、奪われた青春を鋭く告発した詩だ。いつだったか1度だけ、東海道線の「根府川」駅を通過したことがある。茨木の代表作、「根府川の海」の「赤いカンナ」の小駅だ。
 茨木のり子は、学生時代から好きな詩人だった。昨年6月、東京からの帰りの新幹線の中で、『清冽──茨木のり子の肖像』(後藤正治著、中央公論新社)を夢中になって読んだ。震災と原発事故から3ヶ月あまり、緊張感とささくれだった疲れた心が、慰められ浄められる思いがした。まさに後藤が形容するように、「澄んだ流水に接して身を洗われるごとき感触」だった。

院生時代のAさん

 今ある大学で教鞭をとっているAさんの院生時代、机の上の書架に晩年の詩集『倚りかからず』がいつも置いてあったのを思い出してメイルを送ると、早速返信があった。大学受験生の時に、代表作の一つ「自分の感受性くらい」の「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」という末尾の一節に「頭をガツンとやられたような衝撃」を受けて以来の愛読者という。Aさんの克己と矜持、美意識は、茨木のり子に私淑したものだったのか、とあらためて得心した。
 Aさんの薦めで『歳月』という、茨木の没後に刊行された、亡夫へのラブレターのような官能的な詩集も読んでみた。『清冽』に教えられて、遅ればせながら、『詩のこころを読む』『ハングルへの旅』、訳詩集の『韓国現代詩選』なども楽しんだ。

『詩のこころを読む』

 「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘いだしてもくれます。どこの国でも詩は、その国のことばの花々です」。『詩のこころを読む』の書き出しの言葉。高校生を念頭においた岩波ジュニア新書の1冊だが、大人にも十二分に楽しめる。「生まれて/恋唄/生きるじたばた/峠/別れ」の5章からなる。誕生から死へ、という人生の航路に沿った見事な章立てだ。
 何度も繰り返し読みたい本だ。仕事以外の和書を1冊だけ海外に持って行くとしたら、この本を旅の友としたい。日本語はこんなにも豊かだったのか、可能性に充ちていたのか、いろいろな発見がある。けれん味のない平易な語り口の中に示された著者の鋭い批評眼、ウィットとユーモア、知性、選ぶ眼力。例えば、経済学者河上肇の3編の詩の紹介は圧巻だ。

「生きるじたばた」

 また「生きるじたばた」という章タイトルも、その中身も、ウィットに富んでいる。『清冽』という評伝のタイトルに、茨木本人は、本当は「生きるじたばた」だったのよ、と苦笑していることだろう。「清冽」という言葉を、茨木が好んだことは確かだが、自身の人生をこの言葉で形容しようとは思わなかっただろう。次は「生きるじたばた」から。

 青春は美しいというのは、そこを通りすぎて、ふりかえったときに言えることで、青春のさなかは大変苦しく暗いものだとおもいます。大海でたった一人もがいているような。さまざまな可能性がひしめきあって、どれが本当の自分なのかわからないし、海のものとも山のものともわからないし、からだのほうは盲目的に発達してゆくし、心のほうはそれに追いつけず我ながら幼稚っぽいしで。ありあまる活力と意気消沈とがせめぎあって、生涯で一番ドラマチックな季節です。

 生前の著者と面識がなかったという後藤の評伝は、親族や友人などからの丹念な聞き書きにもとづくもので、好著だが、あまりにも上手に、上品に書きすぎている。茨木本人の「生きるじたばた」や葛藤にまでは肉薄できていない。そういう部分を他人様に曝したりせずに生きるのが、茨木自身の美学であり、慎みだったのだが。
 茨木のり子は2006年79歳で病没した。その墓は夫の菩提寺のある鶴岡市郊外にあるという。彼女は愛知県吉良町の出身だが、母は庄内地方の生まれで、庄内美人の系譜を引いていた。いつか墓に詣でてみたい。

社会学の力も、言葉の力だと信じたい

 社会学者は詩人にはとうてい勝てないが、社会学の力も、言葉の力だ、と信じたい。ときどき茨木の詩集やエッセーを繰りながら、自らを叱咤し励まして、福島の人たちの怒り、子どもを持つ親たちの憤りを背中で受け止めながら『脱原子力社会へ』を2ヶ月足らずで書き上げた。岩波書店の担当の編集者も、茨木の愛読者だった。

「倚りかからず」に

 卒業生のみなさん、君たちが一番きれいだったとき、一番輝いていたとき、「とんでもないところから青空なんかが見えたりした」震災があり、原発事故がありました。卒論は、精一杯の君たちの言葉の力です。一番輝いていたときの自画像です。生涯忘れないだろう、2011年3月11日以来の緊張の日々を反芻しながら、院生時代のAさんの自戒のように、「倚りかからず」に生きてください。
 人生に疲れたとき、迷ったり惑ったりした折には、『詩のこころを読む』をお薦めします。

  倚りかかるとすれば 
  それは
  椅子の背もたれだけ (「倚りかからず」より)

2012年1月30日