第一句集『緑雨』(りょくう)あとがき
        (1997ー2005)

    長谷川 冬虹(とうこう)


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 九年前の四月十日、俳人だった父が心筋梗塞のために入院先の病院で急逝した。入院六日目の突然の死だった。葬儀の翌日、二十年ぶりに句が湧いてきた。
 その日から、俳句を詠むことが、彼岸の父との対話となった。
 本業は社会学者で、環境社会学や社会運動論などを研究している。
 俳号にした冬虹(とうこう)、冬の虹は、社会学徒として、教壇に立つものとしてかくありたいという願いでもある。
 句集名の「緑雨」は、少年時代を過ごした山形県最上町で詠んだ


   緑雨して山刀伐峠山毛欅峠


の句から採った。
 雨や雪に関する日本語の語彙の豊富さと繊細さほど、日本文化の感受性、奥深さを示すものはあるまい。


 かつて東京大学には「夏草」同人の小佐田哲男先生が主宰する作句演習というゼミナールがあり、その出身者が東大学生俳句会というサークルをつくっていた。私の作句事始めはこのゼミナールであり、引き続き学生俳句会にも参加した。このサークルは、一学年下の夏石番矢氏はじめ、現在第一線で活躍中の俳人を何人も輩出している。



 「木語」入会以降は、みづえ先生の暖かいご指導に多くを教えられ、励まされてきた。比較的新参の会員・同人ではあったが、大学の同僚でもある「仙台木語の会」の仁平よしあき氏はじめ、多くの連衆の方々から励ましの言葉を頂戴してきた。それだけに先生のご病気により平成十六年八月号をもって終刊のやむなきに至ったことが惜しまれてならない。
 父の死から、在外研究から帰国するまでの八年間の句の中から三六五句を自選したが、みづえ先生は選句を丁寧にご批評くださり、句集の編み方を詳しくご指導くださった。心温まる序文を賜ったこととともに、多くの貴重なご助言に深く御礼申し上げたい。


 勤務校の東北大学文学部は、戦前の阿部次郎・小宮豊隆の時代から俳句がさかんだが、平成八年十月から、「きたごち」主宰でもある柏原眠雨先生を中心に、毎月東北大学俳句会が開かれてきた。私も時折出席して勉強させていただいている。柏原眠雨先生、世話役の野家啓一先生にも御礼申し上げる。
 阿部次郎の三女で、歌人・随筆家でもあり、みづえ先生の友人でもある大平千枝子さんからも、いろいろな折に励ましていただいている。心から感謝申し上げる。


 最後に、ともに俳句をたしなむ山形の母と妹、本句集にもときどき顔を出す妻のまりかと息子の公樹に、感謝の言葉を述べたい。


 平成十八年 弥生  花便りの聞かれる頃
                              長谷川 冬虹


 補注 山田みづえ先生は、2013年5月18日に86歳で亡くなられた。