チョコレート・ボックスのような人──映画「フォレスト・ガンプ」

卒業生に贈る言葉 2012年度

フォレスト・ガンプのレストラン



       ママはいつも言っていた。
       「人生はチョコレート・ボックスみたいなもの。
       食べてみなけりゃわからない。」
         (映画「フォレスト・ガンプ」から)

 2012年8月コロラド州デンバーで開催のアメリカ社会学会大会の最終日、日本社会に関する特別セッションを終えて、ハーバード大留学中の院生の小杉亮子さん、研究室OBの笹島秀晃君らと一緒に、京都大学の落合恵美子さんに誘われ、Bubba Gump Shrimp というシーフード・レストランに入った。唐揚げやフライなどエビづくしのメニューで地ビールなどを楽しんだ。pop でオシャレな店だった。
 この店は、トム・ハンクス主演で、1995年にアカデミー賞作品賞や最優秀監督賞、主演男優賞などを受賞した映画「フォレスト・ガンプ」にちなむレストランである。フォレスト・ガンプは主人公の名前。映画ではベトナムで戦死した黒人の戦友バッバ(Bubba、南部の英語で「兄弟」を意味する)との約束を果たしてエビ漁で大成功するが、フォレストがもしエビ料理のレストランを経営したらこうなるというコンセプトの店だ。テーマ・パークならぬテーマ・レストラン。世界中に約20店、日本にも東京ドームの隣をはじめ、東京と大阪に計3店あるという。店内にはずっとこの映画のサウンドトラック版が流れ、Tシャツだとかマグカップだとか、フォレスト・ガンプ・グッズもたくさん置いていた。
 原作は同題の小説。フォレストは1945年アラバマ州生まれ、子ども時代から、幼なじみの妻と死別する1982年までの約30年余りの物語である。主人公の姓のガンプ(Gump)は俗語で、うすのろ、間抜けなどを意味する。タイトルには「うすのろガンプ」「間抜けなガンプ」などの意味もある。フォレストは知能指数が少し低いイノセントな大人という設定だ。抜け目なさとか、小賢しさとか、計算高さとか、俗物根性とか、そういうものの対極にフォレストは位置する。

トム・ハンクス

 トム・ハンクスはこの映画でもそうだが、イノセントで正直で気のいい役どころを演じさせると右に出る者がない。あざとさやわざとらしさがなく、演技を忘れさせ、まるで素のままのようだ。母国でクーデターが起きて、パスポートが無効になり、入国も帰国もできずに、ニューヨークのケネディ空港に長期にわたって留め置かれる、英語の不自由な男性を演じた「ターミナル」(2004年)も秀逸だった(海外出張が多いので、身につまされるところ大だ)。正直さとひたむきさで難局を次々打開していくという点でも、ターミナルとフォレスト・ガンプの役どころは似ている。
 社会学者のライト・ミルズは、社会学的想像力は、大文字の歴史と個人の生活史とを同時に把握することを可能にすると規定したが、この映画もまた、1960年代以降のアメリカ史とフォレストの個人史との交錯を巧みに描き出している。ケネディ大統領やジョンソン大統領、ニクソン大統領などの歴史上の人物とフォレストが握手するシーンなど、特撮を駆使した見せ場も多い。

 南部のアラバマ州は、キング牧師を一躍有名にした1955年のバスボイコット運動の舞台でもあり、過酷な黒人差別で悪名高い州だった。黒人入学をめぐって当時のウォーレス・アラバマ州知事がケネディ大統領と対立するシーンも映画には出てくる。プレースリーも、ジョン・レノンも、ウォーターゲート事件も。チョコレート・ボックスのように、壮大な歴史スペクタクルが、ジョークとユーモアのチョコをまとって並んでいる。

ベトナム戦争の影

 この映画でもっとも重苦しいのはベトナム戦争とのちに妻となる幼なじみのジェニーの人生だ。大学卒業と同時にアメリカ海兵隊に志願したフォレストはベトナムに従軍。そこで知り合ったアフリカ系のバッバはエビ漁の夢を熱く語るが、戦死してしまう。フォレストは瀕死の重傷を負った上官のダン中尉を救うが、ダン中尉は両足を失い、なぜ自分を助けたのか、死んだ方がましだったとフォレストを罵倒する。ダン中尉は、ベトナム戦争で深く傷ついたアメリカ、孤独なアメリカ人の象徴のようだ。
 もう1人の孤独な、彷徨えるアメリカ人女性がジェニーだ。彼女は子ども時代のフォレストの唯一の親友だったが、片親で、同居する父親の性的虐待に傷つき、「鳥のように羽ばたきたい」と自由に憧れている。フォレストの永遠のマドンナだ。親戚に引き取られるジェニーとの別れ、学生時代の再会、場末のホールで半裸で歌を唄うジェニーとの、ベトナムに従軍する直前のつかの間の再会等々、ジェニーとの間で何度も繰り返される別れと再会がドラマの縦糸をなしている。ジェニーはブラック・パンサーの反戦活動に従事し、ドラッグに溺れ、飛び降り自殺をかろうじて思いとどまる。
 クリントン元大統領(1946年生まれ)も、息子の方のブッシュ前大統領(同じく1946年生まれ)も、ベトナム行きを不当に逃れたと「徴兵忌避」の疑惑を指弾された。ミネソタ大学で環境社会学や社会運動論を研究している、私の友人のジェフリー・ブロードベントは1944年生まれだが、モルモン教徒の家庭に生まれた彼は良心的な徴兵拒否を選んで、徴兵の代わりにコロラド州で2年間レインジャー活動に従事した。ベトナム戦争にどう向き合ったのか、1960年代のカウンター・カルチャーとどういう距離をとったのか、これらは、1945年前後生まれのアメリカ人にとって、もっとも根源的な世代体験であり、アイデンティティを問われ続けた重い問題である。
 1960年代・70年代のアメリカの現代史を、フォレストとダン元中尉とジェニーは、アメリカ社会学会大会書籍販売コーナーそれぞれに生き抜く。ダン元中尉とジェニーがそれぞれのトラウマをどう克服したのか、も映画の見所だ。
 この映画のカウンター・パートにあたるような、個人の人生をとおして1950年代から80年代にかけての日本の現代史を描いた映画はあるだろうか。安保闘争、高度経済成長、大学紛争、公害問題、列島改造ブーム、リブ運動等々の時代だ。北杜夫の『楡家の人びと』をはじめとして、戦前から戦後直後までの家族の物語は多いが、約30数年の個人の人生から日本の戦後史の輪郭を明瞭に浮かびあがらせるような傑作ははたしてあるだろうか。
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 卒業生のみなさん、卒業おめでとう。みなさんにはどんなチョコレート・ボックスとの出会いがあるでしょうか。ちょっぴり甘く、ときにはビター、ときにはとびきりスウィートなチョコとの出会いがあるでしょう。そう、食べてみなけりゃ味はわからない。

2013年1月20日