星がつながって星座になった

卒業生に贈る言葉 2017年度

卒業生からの手紙

 周防大島文殊山中腹から
 今頃の時期、研究室に卒業生のF君から毎年、山口県の周防大島の蜜柑が届く。F君の友人が作っているという、消毒を1度しかしていない、安全で安心な蜜柑だ。大きさは大・中・小さまざまだが、とても味が濃くて美味しい。

 F君は東日本大震災のあった2011年3月に卒業し、その後は実家のある広島市で暮らしている。F君からは毎年近況を記した年賀状が届く。昨年11月祖母が90歳で亡くなったという喪中欠礼の葉書が届いた。暮れに励ましの葉書を送ると、今年は蜜柑の段ボールの中に、便せん7枚にしたためた私宛の手紙が入っていた。
 周防大島を一緒に散歩していた祖母が亡くなって、F君は喪失感に襲われた。残念だったのは「ああ、生きてるうちに、ばあちゃんの辿ってきた90年の人生を聞いておくんだった」という後悔だったという。

 <F君の祖母の姓名+岩国>で、インターネットで検索してみると、元高校の先生で、退職後は、岩国の基地問題や上関原発建設問題、民主主義の問題や従軍慰安婦の問題などについて、熱心に発言したり、新聞などに投書しておられた市民運動の担い手だった。F君からの手紙に同封されていた資料によると、「「もの言わぬ民であってはならない」と身をもって示し、『言いたいことがあるんよ!』という正続2冊の著書」を出版されていた、とのことだ。1927年、昭和2年前後のお生まれのようで、私の母とほぼ同年である。14歳から18歳前後のもっとも多感な時期に戦中を過ごされただろう。人生の歩みそのものが昭和史であり、平成史だっただろう。F君の悔いはよくわかる。

    九十歳母の戦後史合歓の花  冬虹

 私の父も1928年、昭和3年生まれだったが、1996年4月10日に、69歳で心筋梗塞で急逝した。小熊英二さんがご自身の父から聞き書きした『生きて帰ってきた男——ある日本兵の戦争と戦後』(岩波新書、2015年)を読んで、実父を19年前に亡くしたことが悔やまれてならなかった。父の昭和史をきちんと聞いておくべきだったという無念の思いである(父は俳句を生き甲斐にしていた地味な銀行員であり、その生涯がとくに劇的だったわけではないけれど)。
 F君が素晴らしいのは、喪失感で悶々としていたある日、彼がステキな取り組みを思いつき、それを実行したことである。

「記憶の煤払い」

  •  お年寄りの人生をきくことは、そして記録することは、いずれ残されたご家族のためにもなるんだと。そして、それだけじゃない、たとえば老人ホームなどでさびしい思いをしている方の話し相手にもなれるし、認知症の方の昔話をきくことは「記憶の煤払い」(精神科医の中井久夫さんの言葉)にもなるかもしれない。

  •  それに、少しの記録でも、それを施設の人に読んでもらえれば、忙しい中、1人1人の来歴など気にかけていられなかったのが、「ああ、この人はこんな人生を背負ってこられたのか」と分かってもらえ、そうすれば何か変わってくるかもしれない……と、そのようないくつもの見えなかった星がすーっとつながって、1つの星座が浮かび上がってくるように、1つの「仕事」の姿が見えたんです。

  •  まだ、それがどういう形でできるのかわかりませんが、ぼくにもできることがあるかもしれない。人のために、何かできるかもしれないと、それから思うようになれました。


 「いくつもの見えなかった星がすーっとつながって、1つの星座が浮かび上がってくるように、1つの「仕事」の姿が見えたんです」というF君のこの思いを受け止めってくださった方の仲介もあって、祖母の友人でもあった1943年生まれの周防大島町在住の74歳の方に聴き取りができた。その聞き書きの記録は、「山の稜線へオレンジ色の光がババーっと——私が生きた日本現代史(その1)」として、この1月15日に発行された周防大島町の市民運動の会報に掲載されている。
  F君が送ってくれたその記録は、4頁、5000字以上にもわたる生き生きとしたものだ。空襲、原爆体験、玉音放送、父の従軍、米兵の思い出、墨塗りの教科書、教育勅語の思い出など。「(つづく)」とあるから後編も楽しみだ。「先生からインタビューの仕方を教わって10年近く、こんな形でその経験が活かされるとは思ってもみませんでした。無駄な事ってないんですね。(中略)ばあちゃんは旅立ってしまいましたが、残してくれたものの豊かさに感謝できるようになれたこの頃です。」と手紙は結ばれていた。

  •  おばあさんから直接詳しい人生の話を聴くことはできなかったかもしれませんが、ご両親やご親戚、友人、教え子や元同僚の方などに、「祖母はどんな人でしたか。最初に会ったのはいつですか。印象に残っている言葉やエピソードを教えてください」と聞いていけば、いろいろな話が出て来るでしょう。

  •  「雪だるま式」と言いますが、あるエピソードが出てきたら、「それについてほかに詳しく知っている人を教えてください」というと、それなら、Aさんに聞くといいと教えてもらえるでしょう。

  •  Aさんの人生を聞くことと、Aさんから祖母のことを聞くということを兼ねてやるのもオススメです。

  •  そうすると、おばあさんをめぐる「星座」が出来あがっていくのではないでしょうか。1等星的な飛びきりの話をしてくれる人も、N等星の明るさの話をしてくれる人もいるでしょう。

  •  ばあちゃんの家の庭自分が孫として見知っていたおばあさんとは別の姿が、あるいは共通度の高い姿が浮かびあがってくることでしょう。1人の人生の重さを実感することにもなります。あまり焦らずに、気長にこういうことをするのは、おばあさんに対するとてもいい供養になると思います〈私からの返信の一部〉


 F君が2年次の基礎演習の折に、石牟礼道子の『苦海浄土』について、とてもいいレポートをしてくれたこと、彼の共感能力の高さを思い出しながら、このように返信した。

 社会学は直接役に立たないとよく言われるが、F君のように、聞き書きの技法は様々に活かすことができる。
 新聞記者をはじめ、取材の仕事の基本は、聞き書きでもある。会社員でも公務員でもどんな仕事でも、現場の声に耳を傾け、顧客や部下や同僚の声に謙虚に耳を傾けるべきである。
 一人の生活者・市民としては、パートナーや家族の声を大事にしたい。

近親者の声・内なる声——『おらおらでひとりいぐも』

 卒業生のみなさん、卒業を機に、あらためて父や母や祖父母や近親者の声に耳を傾けてください。

 そして自分自身の内なる声にも耳を傾けたい。
 おのが内なる声を、しかも東北弁で、見事に表現しえたという点で、このほど芥川賞を受賞した若竹千佐子の『おらおらでひとりいぐも』河出書房新社は、傑作だ。岩手県遠野市出身、私と同年だ。
 この小説の主題も、伴侶を失った者の喪失体験・孤独感の昇華にある。宮沢賢治の「永訣の朝」のOra Orade Shitori egumo という死に行く妹トシの臨終の言葉を、「自分流にひとりで生きていく」という生きる宣言に捉え直したタイトルも秀逸だ。
 それまでずっと「おら」と自分を呼んできた主人公が、小学一年生で、「わたし」という言葉を習ったときのためらいを思い出して描いた次の一節は東北人の普遍的な自画像だ。こういう内なる声が星々のように共鳴しあって、『おらおらでひとりいぐも』という、くっきりとした星座ができあがっている。

 都会に対する憧れ、わたしという言葉を使ってみたい。だども、わたしという言葉を使ったら、自分の住むこの町の空気というか風というか、おらを取り囲む花だの木だの、人だの人のつながりだのを、足蹴にするような裏切りの気分が足首のあだりから、そわそわと立ち上がってくるようでおぢづかね、それよりなにより肝心要の自分の呼び名がふらつぐようでは、おらこの先どうなってしまんだべが、だらしなくあっちゃこっちゃ心が揺れる人になりかねねぇ、そういう恐れが桃子さんの子供心にたしかにあったのだった(同書 18頁)。
                        2018年1月31日

後日談・F君から 追記2018年2月28日

 その後 F君から4冊の冊子が届いた。いずれも、ばあちゃんの一本筋の通った生き方が印象的で、かつF君一家のやさしさあふれる、魅力的な文章だ。日本の戦後社会、昭和史と平成史を支えてきたのは、在野のこういう方達の良心なのだと、あらためて思った。

 藤村英子『戦前戦後の教育に思う』2013年。
 藤村英子『言いたいことがあるんよ!』2014年。
 藤村英子『まだ言いたいことがあるんよ!』2016年。
 藤村友起『ばあちゃんとの思い出』2017年。

後日談ふたたび・周防大島訪問 追記2021年5月8日

 平成がまもなく閉じようとしていた2019年4月下旬、F君の案内で周防大島を訪ねた。蜜柑農家の友人はじめ、F君の仲間たちが歓待してくれ、島中を案内していただいた。島全体が、藤の真っ盛り。亡くなったばあちゃんの家では、はじめて見る紫色の檸檬の花が莟みをほころばせていた。
 周防大島は、民俗学者・宮本常一が生まれ育った土地だ。宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)がある。
レモンの花の莟み(2019.4.26)
 F君の仲間たちから、岩国基地の米軍機の騒音問題・上関原発建設問題などに関する話もうかがった。羽田経由岩国空港経由で行ったのだが、岩国空港内は写真撮影禁止という機内アナウスがあった(日本の空港で、はじめての経験だ)。
 瀬戸内の美しい島のばあちゃんとその仲間たちは、島の環境を守るために長年闘って来た闘士でもあった。
 F君のおかげで、平成を締めくくる思い出の旅となった。

    瀬戸内の檸檬の花よ島へんろ
    島又島浪又浪やへんろみち
   

2021年5月8日