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日本近代仏教史研究会第20回研究大会傍聴

聞きたい発表がたくさんあって、且つ自分が発表しなくて良い学会というのは、なんとすばらしいモノなのでしょうか。

日本近代仏教史研究会 - 第20回研究大会のプログラム
http://www.mjbh.jp/release120304.html

個別の研究発表も面白かったですし、シンポも良かったです。と、いうか、研究発表というレベルではなかったと思います(良い意味で)。

吉永先生のグループがこの数年取り組んできた業績の全体像(「『新佛教』研究の現状と展望」)がみれたのも良かったですが、小川原さんの発表「対華二十一箇条要求と仏教―布教権をめぐって」が、これまた秀逸というか、なんでそんなところに眼を付けちゃったのというところで、「そうかそれはそういう意味があるのね」という歴史の見方の面白さを改めて教えてくれる内容でした。

私どもは、条文に残ったものを見がちですが、小川原さんは消えたモノにも意味があると指摘されるわけです。何とも慧眼でございます。

シンポジウムの「近代の仏教とキリスト教」もこれまた当方の楽しみとしていたところであります。

正直、近代仏教を作ったのはキリスト教だと思っている――すごい誤解を生む余地のある書き方ですが――ので、面白く拝聴しました。ただやっぱり「キリスト教≒プロテスタント」という理解の傾向は、すこし冷静になって考えてみる必要があるような気がします。

「事実としてそうだったからしようがない」というのは、どこかで聞いた論法なわけで、そもそもの前提となる概念が普遍性を有しているのかという問題を、一つクリアしなければならないわけですが、とりあえず今日はここまで。

佐藤勢紀子・末松和子・曽根原理・桐原健真・上原聡・福島悦子・虫明美喜・押谷祐子「共通教育課程における「国際共修ゼミ」の開設:留学生クラスとの合同による多文化理解教育の試み」『東北大学高等教育開発推進センター紀要』6号、2011年

うっかりと、書き忘れていた、やはり去年の論文。共著論文ってのもずいぶん久しぶりですね。

(2011)佐藤勢紀子・末松和子・曽根原理・桐原健真・上原聡・福島悦子・虫明美喜・押谷祐子「共通教育課程における「国際共修ゼミ」の開設:留学生クラスとの合同による多文化理解教育の試み」『東北大学高等教育開発推進センター紀要』6号、2011年、143-156頁

トマス・ツィード著(桐原健真、オリオン・クラウタウ共訳)「米国オカルティズムと日本仏教─A・J・エドマンズと鈴木大拙、そしてトランスロカティヴな歴史叙述」、『年報日本思想史』11号、2012年、1-31頁

トマス・ツィード著(桐原健真、オリオン・クラウタウ共訳)「米国オカルティズムと日本仏教─A・J・エドマンズと鈴木大拙、そしてトランスロカティヴな歴史叙述」、『年報日本思想史』11号、2012年、1-31頁

かなり難渋しました。イヤ、本当に。一番苦労したのはクラウタウ氏なのですが。

近代日本でオカルティズムが異様に流行した世界史的背景について考えさせてくれます。ただ、なんでその後、あんなに一気に退潮したのかは、当方にもよく分かりません。ある程度、見通しは立っているのですが、もうちょっと確証が欲しいところではあります。

桐原健真「「開国」言説と戦後日本」(仙台近現代史研究会、於仙台市・東北大学、2012年03月24日)

桐原健真「「開国」言説と戦後日本」(仙台近現代史研究会、於仙台市・東北大学、2012年03月24日)

インフルではないのですが、非道い風邪をひいた状態でやりました。まとまらないのは、風邪のせいなのか、目論見の悪さなのか。ちと不明瞭ですが、とりあえず、1980年代以降をやろうとしたのですが、どうも年代論でやるのには無理があるのではないかと自分自身で思いながら、やはりそのように指摘されてしまった発表。

系統図なんかで表現するのが良いのかなぁ。

桐原健真「「第三の開国」とはなにか? :戦後日本における自他認識の転回(1945~1980)」『文化』74巻3号、1~20頁、2011年

桐原健真「「第三の開国」とはなにか? :戦後日本における自他認識の転回(1945~1980)」『文化』74巻3号、1~20頁、2011年

去年出ているはずの今年の論文。良くある話です。

要旨は英文なので、そちらの日本語訳から。

「我々は第三の開国期にある」――この掛け声のもとで、20世紀後半の日本の政治家・企業家・知識人の多くが、日本改革のためのプランを提唱してきた。しかしながら、この「第三の開国」の意味するところは、時代によって異なっている。この「第三の開国」に関しての言説の変化は、日本人における自他認識の転回を示しているのである。

1853年にアメリカ海軍のペリー提督が蒸気砲艦によって始めた「第一の開国」は、「鎖国」日本を近代化することに成功する。しかし最終的に、近代日本は、その軍事的野心のため、「西洋文明」に戦端を開くこととなる。そして周知のように、この戦争は1945年に、日本の徹底的な敗北によって終わったのである。「第二の開国」はこの無条件降伏から始まった。それは、アメリカ陸軍のマッカーサー元帥による統治の下で、この「12歳の少年」を民主化する道であった。この「第一・第二の開国」がともに、アメリカ合衆国による「啓蒙への善導」あるいは「外圧」によって展開されたために、「第三の開国」という語りもまた、日本人の対米感情を反映したものであった。

一方、この「第三の開国」言説が、1970年代の日本人自身による日本論・日本人論の隆盛とリンクしてからは、日本人の「本質」「鎖国」的閉鎖性とみなす多くの日本人が、自分たちを「開かれなければならない」民であると考えるようになる。この「第三の開国」の主張が日本人の本質論としての語りとなったために、日本人はみずからの「本質」を改革するという「大事業」に着手しなければならなくなったのである。かくして彼らはみずからが召喚した「永久開国論」に苦しめられ続けることになる(これは今でも変わらないのだが)。そこには、「鎖国日本」言説に由来する自己認識への焦燥が、コインの両面として存在しているのである。

原文は以下の通り。でも英文タイトルが間違っていることをさっき指摘されました。

誤 What is the "third opining" of Japan?

正 What is the "third opening" of Japan?

なので直しました。「third opining」ってなんだろうね。「second opinion」なら聞いたことありますが。

What is the "third opening" of Japan?: revolution of self-and-other consciousness in post war Japan (1945-1980).

"We are in the age of the third opening of our country (第三の開国期)." Under this slogan, many Japanese statesmen, entrepreneurs, and intellectuals asserted plans for the reform of Japan since the late twentieth century. However, the meaning of the phrase "third opening" changed with the times. This change of discourse regarding the "third opening" represents a revolution in Japanese self-and-other consciousness.

The "first opening", which was started by Commodore Perry of the U.S. Navy with steam gunboats in 1853, succeeded in the modernization of the closed Japan. But eventually, militaristic ambitions led modern Japan to declare war against "western civilization". This war ended in a signal defeat of Japan in 1945. The "second opening" started from the unconditional surrender. The "second opening" was a means to democratize the "twelve-year-old boy" (Japan) under General MacArthur. Because both the "first and second opening" were promoted by the good guidance or the external pressure (外圧) of the United States, the discourse of the "third opening" also reflected Japanese sentiments toward the Americans.

On the other hand, after this discourse linked to the flourishing of essays on Japan and Japanese (日本論・日本人論) written by Japanese people in the 1970’s, many Japanese, who regarded their own nature as based around the exclusionism of the closed country (鎖国), thought themselves to be ae people who ought to be opened. Because advocacies of the "third opening" had become a narrative about the Japanese essence, Japanese people were to set their hands to a grand program to reform their own nature. In this way, they were (are) suffering Permanent Opening (永久開国論) which they themselves brought about. This and an ongoing dissatisfaction in Japanese self-consciousness linked to the discourse on closed Japan (鎖国日本) were as two sides of the same coin.

今気付きましたが、巻頭論文でした。久しぶりですな。っていうか、論文自体が久しぶりか。むぅ。

東北大学東北アジア研究センターシンポジウム「聖典とチベット:仏のことばを求めて」

ファイル 202-1.jpg
日時:2012年2月19日(日)13:00 ~ 18:00 入場無料 参加自由
場所:東北大学片平さくらホール 2 階 仙台市青葉区片平2-1-1

講演(1) 奥山直司(高野山大学)
 「河口慧海による梵語・チベット語仏典の収集とその意義」
講演(2) 長岡龍作(東北大学)
 「日本美術史研究者にとっての河口コレクション」

発表(1) 高本康子(群馬大学)
 「多田等観関連資料の現在」
発表(2) 菊谷竜太(東北大学)
 「インド仏教聖典の翻訳とチベット大蔵経の形成」
発表(3) 井内真帆(日本学術振興会)
 「蔵外文献をめぐる学界動向と日本所蔵蔵外文献の活用に対する提案」
発表(4)吉崎一美(ネパール研究家)
 「河口コレクションとネパール仏教」

パネリストによるセッション

※パネルセッションの司会をやりました。

東北大学 東北アジア研究センター
http://www.cneas.tohoku.ac.jp/news/2012/news120117.html

ヤラレタ

ファイル 201-1.jpg パソコンが壊れました。

見事なブルースクリーン全世界放映のものに比べれば、どうってこと無いですが。

北京オリンピックの開会式にブルースクリーンが登場していた - GIGAZINE
http://gigazine.net/news/20080812_olympic_bsod/

とはいえ、この一週間の作業は、全部パーです。まぁ他にもパソコンはあるんですが、作業した時間とデータは還ってこないのです。データはある程度バックアップできるでしょうが、時間はバックアップできません

ゲームのリセットボタンが、青少年の発達に悪影響を与えたとか言いますが、ゲームをやった時間はリセットできないんだよ、と切に訴えたいです。

まぁ、ゲームのやり過ぎが宜しくないというのは、とあるゲームをやり過ぎて、廊下にある消火器を投げたくなる衝動に駆られたとき、はっきりと自覚しましたが。

桐原健真「永久開国論と戦後日本:「尊農攘夷」思想を出発点に」、第5回政治学勉強会、2012年01月26日、仙台市・東北大学法学研究科

世の中には、「尊農攘夷」思想というものがあるそうです。農業の市場開放に対して反対する人々を揶揄して、「尊王攘夷」をもじって、「農業を尊崇し、夷狄を攘斥する」という意味で「尊農攘夷」と呼ぶのだそうです。TPP推進派が、反対派に対してしばしば用いられるようです。

 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に反対する人たちのなかに、TPPなどやると日本がアメリカ化して日本でなくなる、と心配する人が結構いる。

 論理でなく心情に着目すれば、TPPの反対論は幕末の尊皇攘夷(じょうい)論とあまり変わるところがないように思う。農本主義的でもあるから、私はこれを「尊農攘夷」と呼ぶことにしている

 この気分はよく分かるのである。アメリカはペリー提督からマッカーサー元帥、さらに近くは日米構造協議に至るまで、日本国の根本に手を突っ込んで大変動を起こしてきた国である。結果は悪くなかったと思うが、それがまたしゃくのタネだ。

 あの人たちと再度、アレコレ開国論争をするのかと思うと、賛成派の私ですら気が重くなる。

魚拓:(cache) 水説:尊農攘夷でいいのか=潮田道夫 - 毎日jp(毎日新聞)
http://megalodon.jp/2011-1109-1827-30/mainichi.jp/select/opinion/ushioda/news/20111109ddm003070124000c.html

参考:"尊農攘夷" - Google 検索
http://www.google.com/search?hl=ja&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&num=50&q=%22%E5%B0%8A%E8%BE%B2%E6%94%98%E5%A4%B7%22

とはいえ、この「尊農攘夷」なることばは、決して昨日今日できたモノではございませんで、1980年代初頭の日米貿易摩擦問題の際にもすでに見えております。

本家本元の「尊王攘夷」が、「弘道館記」(1838年)以来のことばであり、20年程度で、「尊王倒幕」の声に取って代わられたことを考えますと、この「尊農攘夷」の生命力は、本家のそれよりもはるかに長いと申せます。とは申しましても、その意味内容は、その時々で変容しており、また断続的に叫ばれているわけでありますから、そこに見るべきものは、「尊農攘夷」の生命力ではなく、思想の継受性が弱い「日本の思想」(by 丸山真男)の特徴なのかも知れません。

法学・政治学をご専門にされている方々にお話しするのは、珍しいことなので、とても大変よい刺激になりました。夜も美味しかったです。

公認教運動

以前、

チェコ国勢調査で“ジェダイ”信仰者が1万人越え (映画.com) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111228-00000010-eiga-movi

というので大笑いしていたのですが、ジェダイの次は、「ファイル共有」だそうです。

「ファイル共有」を信仰するグループ、スウェーデンで宗教団体として認められる (ねとらぼ) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120105-00000071-it_nlab-sci

「宗教として政府から認可された」という日本語がなんとも面白い。公認教かよって感じです。

"公認教運動" - Google 検索
https://www.google.com/search?num=50&hl=ja&lr=&safe=off&q=%22%E5%85%AC%E8%AA%8D%E6%95%99%E9%81%8B%E5%8B%95%22&oq=%22%E5%85%AC%E8%AA%8D%E6%95%99%E9%81%8B%E5%8B%95%22&aq=f&aqi=&aql=&gs_sm=e&gs_upl=5299l6515l0l6762l2l2l0l1l0l0l108l108l0.1l1l0

まぁ、政府が宗教かどうかを認定するわけではなく、宗教団体として登録したというだけなんですけど、そこら辺、日本社会における宗教の認識というものの不思議さがあります。Kopimismのwebサイトを見ると、「公認」と翻訳するのはどうなのかなぁと思ったりするんですがねぇ。

The Church of Kopimism
http://kopimistsamfundet.se/english/

Just before Christmas, the Swedish governmental agency Kammarkollegiet registered the Church of Kopimism as a religious organisation. This means that Sweden is the first country to recognize kopimism as a religion.

こっちの日本語なんかもっとすごいです。たぶん、ねとらぼのソースはこっちなんでしょう。

ファイル共有の自由を提唱するKopimism教会、スウェーデンの公認宗教に (CNET Japan) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120105-35012797-cnetj-sci

「スウェーデンの公認宗教」とか「同国で正式な宗教として認められた」とか、読んでいてドキドキしますね。

File-sharing religion goes legit in Sweden | Crave - CNET
http://news.cnet.com/8301-17938_105-57352469-1/file-sharing-religion-goes-legit-in-sweden/

legitの意味をどう捉えるか何でしょうけど、たんなるleg itの洒落なのかもしれません。それならgoesと合うかなぁ。面白さがいまいちわからんけど。

まぁ、八百万の神々を拝(おろが)む日本においては、すでにイワシの頭を祀る宗教社会的に認められていますので、ジェダイもファイル共有も何するものぞ、というところではあります。

が、一方で、「鰯のかしらも信じからなれども、無理非法の公事〔裁判〕は神仏もちから及びがたし」(浅井了意『東海道名所記』6巻、17世紀半ごろ)とあるそうですから、公認教への道は、当時から遠かったみたいですね。>違います。

桐原健真「護法・護国・夷狄」、日本思想史学会2011年度学術大会パネルセッション「幕末維新期の護法思想・再考」、2011年10月30日,豊島区・学習院大学

ファイル 206-1.jpg日本思想史学会においてパネルセッションを行います。

パネルセッション 幕末維新期の護法思想・再考

日本思想史学会2011年度大会
場所 第二会場(学習院大学・西二号館・302教室)
時刻 10:00~12:00
司会 オリオン・クラウタウ(日本学術振興会特別研究員)
コメンテータ 林淳(愛知学院大学)

題目氏名所属
真宗僧侶による護法の社会的展開上野大輔日本学術振興会特別研究員
護法・護国・夷狄桐原健真東北大学
幕末維新期の真宗思想――護法論から近代仏教へ岩田真美龍谷大学

2011年度大会開催案内
http://wwwsoc.nii.ac.jp/ajih/event/2011taikai.htm

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