[目次]

ダグラス体制と性別階層

ふたつの平等化政策

ダグラス体制という前提

一九九九年に「男女共同参画基本法」が成立した。 ★内容★ これは、男女間の平等を実現を政策目標とすることについて国民的合意が形成されたということである。 この目標の達成のために、どのような政策が立てられているだろうか。

平等を実現するというのは、 格差形成プロセスがふくむいくつかの段階のうち、すくなくともどれかひとつをストップさせるということだ。 図{gstra}でいうと、 (X)性別によって世帯内の地位が決まる、 (Y)世帯内の地位によって仕事への参加度が決まる、 (Z)仕事への参加度によって所得が決まる、 という三つの段階がある。 これらのうちどれかをストップさせれば、男女の平等が実現する。 男女の平等を達成するための政策としては、三つの選択肢があるのだ。

奇妙なことに、性別によって世帯内の地位が決まる段階(図{gstra}のX)については、 これをストップさせることは考えられていない。 男性が所得核に、女性が調整役に割り当てられることが格差をもたらす原因なのだから、 たとえば男性も女性も半分ずつが所得核になって、残りが調整役になるような社会を目指す、 という政策目標がありうる。 しかしそのような政策目標は実際には立てられていない。 政策目標になってきたのは、「男性=所得核、女性=調整役」というダグラス体制は維持したままで、 その枠内で男女平等を実現しようということであった。

所得核と調整役の働きかたがちがうのはあたりまえだし、働きかたがちがえば所得に差がつくのは仕方ないんじゃないか――そう考える読者も多いかもしれない。 だがこの考えは性急にすぎる。 所得核と調整役の働きかたに差が出ない社会や、働きかたのちがいが所得格差を発生させない社会を構想することはできないわけではない。 実際、現在の男女平等政策はその種の社会を実現することを目標としており、 そのための具体的な政策が立案されて実行にうつされてきた。 図{gstra}でいえば、格差形成プロセスの第二・第三段階(YとZ)をストップさせる政策である。 これらをそれぞれ「仕事/家庭バランス政策」「ファミリー・フレンドリー政策」と呼ぼう。

問題は、そうした構想を実現するのにじゅうぶんな性能を現行の政策が備えているかどうかである。 以下、順に検討していこう。

仕事/家庭バランス政策

所得核は家事の影響を受けないので長く仕事をする。 それに対して、調整役は、家事を負担しないといけないので、仕事に割ける時間が少なくなる。 このような不均衡を防止するには、 一方で所得核の仕事時間を制限し、他方で調整役の家事を軽減するという対策が必要となる。 この対策によって、所得核と調整役の両方が、家事と仕事の間で中庸のバランスを取るようになれば、 所得核と調整役の働きかたはおなじになり、両者の格差も消滅する。 このような平等化政策を「仕事/家庭バランス政策」とよぶことにしよう。

所得核の仕事を制限する対策については、一九九六年の『男女共同参画ビジョン』が具体的な目標をさだめている。 「年間総労働時間一八〇〇時間の達成・定着に向けて、年次有給休暇の取得促進、完全週休二日制の普及促進、所定外労働の削減に一層努める」(男女共同参画審議会、一九九六、一八)。 「年間総労働時間一八〇〇時間」という目標は、一九八〇年代の構造調整論議に由来するもので、 平日一日あたり約八時間の労働にあたっている(経済企画庁、一九八九、六八)。

調整役の家事を軽減する対策について、男女共同参画ビジョンは、 育児と介護への支援制度を充実させることを目標として掲げている。 「低年齢児保育、延長保育、緊急・一時保育、放課後の児童への施策等、多様なニーズに対応した多様な主体による保育サービスの向上とその質の向上……を着実に推進する」「介護については……サービス基盤の大幅な拡充……マンパワーの養成・確保、福祉用具・住宅等の開発・普及……を着実に推進すべきである」(男女共同参画審議会、一九九六、一八)。 さまざまな家事のなかで、育児と介護だけが、特に支援策を要する対象と位置づけられている。

これらの政策がとられることによって、所得核と調整役の働きかたが本当におなじになるのだろうか。 一九九六年に「男女共同参画ビジョン」が提出されたときには、 こうした政策の効果を検討した研究はまだなかった。 どのような効果があるかの検討のないまま、政策が策定されたのである。

最近になってこれらの政策の効果を推定した研究が出てきた。 それらはいずれも、政策の効果について否定的であり、 これらの政策目標では、仕事/家庭バランスがじゅうぶんに実現できないことを示している。

内閣府(二〇〇二)は、労働時間の削減と保育サービスの充実が、 乳幼児を持つ女性の就業にどのような影響を持つかを検討した。 結果は、男性の仕事時間が一日八時間に減少し、保育所が充実して乳幼児の半分が通えるようになったとしても、 乳幼児を持つ女性のフルタイム就業はほとんど増えないというものであった。 本章の枠組にひきつけて解釈すれば、 所得核の仕事時間と調整役の家事時間を大幅に減少させることができたとしても、 なお所得核と調整役の働きかたの間には大きな差がのこるということである。

このような結果になる原因のひとつは、所得核の仕事時間が削減されても、 それがほとんど余暇時間に回ってしまうという事実(注参照)である。 もし、所得核が仕事時間の減少分を家事時間の増加にまわせば、その分だけ調整役の家事負担が減るから、 両者の働きかたのちがいはそれだけ縮小しやすくなる。 ところが、実際には、所得核(=男性)の仕事時間が短くなっても家事時間はほとんど増えない()から、 調整役の家事負担はほとんどかわらない。 このために、所得核の仕事時間縮小の効果が半減してしまうのだ。

田中(二〇〇三)は、このような発想に基づいて、男性の仕事時間が年間一八〇〇時間に減少して、 それがすべて家事の増加となり、同時に育児が完全に外部化されたと仮定して、 三〇代男女の仕事・家事時間の変化を推計した。 この推計の結果によっても、やはり時間の配分は平等化せず、 男性(=所得核)のほうが女性(=調整役)よりも長い仕事時間を使うことがわかっている。

ファミリー・フレンドリー政策

所得核と調整役との間に働きかたの差ができることが避けられないとしたら、 つぎの対策は、働きかたの差が所得の差にむすびつかないようにすることだ。 図{gstra}でいえば、Z段階に対応する政策である。

どのような働きかたをしても所得に影響がないようにする、 というのは、一般的には「脱商品化」(エスピン=アンデルセン、)政策と呼ばれる。 だがここで興味があるのは、脱商品化一般ではなく、家事責任による所得への影響だけに焦点をあわせた政策である。 家事責任によって仕事に割ける時間が低下した場合に、 その影響によって所得が低下しないようにする政策のことだ。 このような政策のことを「ファミリー・フレンドリー政策」*と呼ぶことにしよう。

*ファミリー・フレンドリー(family-friendly)ということばは、もっと広い意味で使われることがある。

ファミリー・フレンドリー政策の代表が、育児・介護休業制度である。 育児または介護の必要性がある場合に一定期間(育児の場合は最長一年、介護の場合は最長三か月)休業する権利が、 育児・介護休業法**によって保障されている。 休業の間には、その直前に支払われていた給与の四〇%(育児休業の場合)あるいは二五%(介護休業の場合)が雇用保険から支払われる***。

**「育児休業、介護休業等育児または家族介護を行う労働者の福祉に関する法律」(一九九九年法第一六〇号)。
**「雇用保険法」(一九九九年法第   号)。

よく誤解されることだが、育児・介護休業制度は「仕事と家庭の両立」を目指すものではない。 家庭を優先して仕事を休むための制度なのだから、仕事を犠牲にすることが前提である。 育児・介護休業制度の意義は、そのようにして仕事への参加度が下がった場合に、そのことがキャリアや所得におよぼす影響を最小限に食い止めることにある。 もしこのような制度がなかったとしたら、長期間仕事を休んで家事に専念するのはむずかしい。 たいていの場合は、いったん仕事をやめるしかないだろう。 育児・介護休業制度があることによって、労働者は、職を失うことなく、一定期間仕事を休んで家事に専念することができるようになるのである。

育児・介護休業制度の効果は限定されたものである。 仕事への参加度が減ることのデメリットを完全に抑えられるわけではない。 まず、カバーされる範囲がせまいということがある。 制度の趣旨から、育児・介護以外のさまざまな家事は最初から対象外である。 育児・介護の場合でも、それぞれ一年・三か月という期間だけが対象なので、 その期間が過ぎてしまえば、対象外ということになる。 また、所得の保障も二五%から四〇%であるから、所得の六割以上は失われることになる。

さらに大きい問題となるのは、休業によって生じるキャリア上の不利益である。 休業の期間は仕事をしていないのだから、その期間は業績があがらない。 新しく導入された技術や知識に関する職業訓練の機会も失うことになるし、すでに獲得していた知識や熟練が減耗してしまうこともありえる。 病気やけがで長期間休んだ場合とまったくおなじなのである。 結果として、休業を取得した人と取得しなかった人との間には、休業の期間が終了した後も、所得の差が生じることになる(仙田・樋口、二〇〇〇)。 現在のところ、休業期間後にあらわれるこのような所得損失を補償することはまったく考えられていない。


東北大学 / 文学部 / 日本語教育学 / 田中重人 / ダグラス体制と性別階層
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Created:2003-01-18. Updated:2003-10-24. Sorry to be Japanese only (encoded in accordance with MS-Kanji: "Shift JIS").