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特別企画日本学 教員インタビュー

蓄積された
人文学の知を総合し、
全人類的な課題に
応えるために。

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大学院文学研究科・文学部 教授

佐藤 弘夫 SATO Hiroo

伝統的な知の技法を生かし、 普遍的なフォーマット化を図る。

日本学国際共同大学院の設立にあたり、その構想段階から関わってきた一人として、はじめに、本大学院に対し私個人が掲げた3つの目標について述べたいと思います。

一つめは、テキストの読み方や扱い方など、日本の人文学に受け継がれてきた伝統的な知の技法を大事にすることです。資料をきっちりと読むという伝統において、東北大学は日本を代表する大学です。その技法を大切に受け継ぎながら、「日本学」に関して、東北大学をわが国最高レベルのものにまで高めていかなければならない、そう考えました。

二つめが、自分たちの研究の成果を、特定の地域を超えてより多くの研究者と共有できる形にフォーマット化していくという目標です。私が関心を持っている問題の一つに「神」がありますが、これは日本人だけでなく、世界中の人にとってももっとも根源的な関心事であると思います。

神道は日本にしかない宗教ですが、これを海外の方々に伝えようとするとき、日本語で書かれた文献や論文をただ翻訳して示すというやり方ではまったく通用しません。というのも、いまの日本の神や神道についての語り方が、日本人にしか理解できないフォーマットになっているからです。フォーマットそのものを、だれでも理解でき議論できるものに変え、それを国外に発信していくという作業が、今後とても重要になると思います。

そして三つめが、日本学もまた、私たちが直面している人類的な課題にきちんと対応できる学問でなければならないということです。いまの人文学は学問分野が個別分散化しているから総合しなければならない、とはよく言われることです。ただし、そのためには多くの人々が専門分野を超えて興味を持つような、切実で具体的な課題を定立することが不可欠です。誰もが関心を持たざるをえないような差し迫った現代的な問題を掲げれば、そこから分野を超えた議論が生まれ、それが学問の総合という遠大な目標への第一歩となるはずです。

百年単位、千年単位の視点から 現代の歪みを照らし出す。

日本学国際共同大学院において、私が取り組んでみたいと考える現代的な課題の一つに、ナショナリズムの暴走の問題があります。ナショナリズムの深刻さは、たとえば日本と韓国・中国の関係のように、お互いに顔を見たこともない者同士が憎しみを募らせ、際限もなくエスカレートしていくという現象に見ることができます。

こうした現象は、近代以前には存在しません。近代化と文明化の深化の結果として起こってきたものです。ひと昔前まで、私たちは時代が先に進めば、その先の未来に理想的な社会が実現すると思っていました。物質的に豊かになれば、人間の心も豊かさも増し、より自律的で理性のある人間が生まれ、その先にユートピアが実現すると考えて来ました。

しかし、現実は全く逆でした。近代化が進めば進むほど、文明化が深まれば深まるほど、それまでなかったようなさまざまな問題に直面するようになりました。ナショナリズムだけではありません。東日本大震災後に露わになった原発の問題もしかり、環境汚染の問題もしかり。こうした問題は、前近代には絶対に起こり得ないものなのです。

その根本的な解決のためには、いま私たちのいる近代という時代の内側で発想するだけでは不十分です。近現代そのものを相対化できる視座が必要です。近代をはるかに超える長いスパンの中で、いまの社会の歪みを照らし出していく作業が不可欠なのです。

振り返ってみれば、百年単位、千年単位で歴史を眺めたり、文明の展開を考えたりしてきたのが人文科学という学問でした。私たちは、その学問の倉庫に人類の知的遺産を蓄積してきたのです。そこに蓄えられた知識と智慧の光に照らしたとき、私たちがいま生きている社会はどう見えてくるのか。そうした試みを通して、現代の歪みを照らし出していくことが、いま人文科学に与えられたもっとも大事な使命だと考えています。

個別的な分野での研究の蓄積を どう総合していくのか。

 私は今後、「神」の問題、そして「死」の問題についても、日本学国際共同大学院で研究を進めていきたいと考えています。

いまだかつて神をもたない民族は存在しませんでした。なぜ人は神を必要とするのでしょうか。死者はこの世にいない人物です。にもかかわらず、私たちはなぜ、いつまでも死者を忘れることがないのでしょうか。この二つの問題は、実は密接に関わっています。「人間」を考察するためのこうした根本的なテーマを、若い学生諸君と力を合わせて、どこまでも究めてみたいと考えています。

2012年に『ヒトガミ信仰の系譜』(岩田書院)という著書を上梓しました。この本は、超越的な存在(広い意味での神)を研究している世界の研究者と問題意識を共有できる形を目指して、日本の神研究について独自のフォーマット化を試みたものです。仏教、キリスト教、イスラム教研究者とも同じ土俵に立ち、議論できるものを目指しました。

この本は国内よりも海外の研究者の注目を集めました。すでに英語、韓国語に翻訳・出版されており、中国語版もまもなく出る予定です。複数の言語に翻訳されたことをきっかけにして、世界各地の研究集会に招待していただき、海外の研究者と建設的な議論を行なって、問題意識を深めることができました。これは、先に述べた“自分たちの研究成果をより普遍的な形にフォーマット化する”という、共同大学院の目標にもつながる経験でした。

死の問題についても、それに対して現代人が持っているある種の歪んだ意識を照らし出し、死者との関係を再構築していく必要があると考えています。日本では中世まで、墓石に名前を刻むという習慣はありませんでした。ところが江戸時代(近世)に入ると、墓標を立ててそこに戒名を彫るようになるのです。

なぜ、こうした変化が起こるのか。私見によれば、中世までは死者はこの世にいてはいけない存在でした。だからお墓まいりの習慣もなかった。それが江戸時代になると、死者はいつまでもこの世に留まるようになる。この列島に世界観の一大転換が生じるのです。

これはまだ学界で承認された説ではありませんが、こうした研究成果を、隣りの韓半島ではどうなのか、中国・ヨーロッパではどうなのか、というように、方法論の問題として世界に投げかけてみたいと考えています。

一つの地域について、多彩な学問分野の成果がこれほど厚く蓄積されたフィールドは日本列島以外にはありません。そうした豊富な成果をどう総合し、どこに収斂していくのか。日本学国際共同大学院ではその点が問われることになると思います。

日本発の方法、ルールを 東北大学から発信したい。

 私にできることには限りがあると思いますが、高い志と深い問題意識を持った若い人たちが日本学国際共同大学院から世に羽ばたき出て、世界中の研究者と議論することによって学問の世界を着実に変えていってほしいと願っています。

ナショナリズムの問題についていえば、なぜ見たこともない者同士が憎しみを深め合うのか、近代を超える長いスパンの中でその処方箋を書いていく必要があるでしょう。

国籍、人種、性別にかかわりなく、意欲のある人たちが集まって議論できる場を、この仙台に、東北大学に作り上げていきたいと思います。いまの人文学において世界中で通用している学問の方法は、ほとんどが欧米から生まれています。中東やアジア出身の研究者がだいぶ活躍するようになりましたが、それでも発信の中心地は欧米です。私たちはそこで作られるルールに則ってプレイしている、まだそういう状況なのです。

日本学国際共同大学院から、学問のルールそのものを作れる学者が育ってほしい。日本発の方法が世界中の人たちによって議論されるときが来てほしい。それがこの東北大学で実現できれば素晴らしいと思います。

Profile
  • 1953年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。博士(文学)。
  • 東北大学文学部助手、盛岡大学文学部助教授などを経て現職。
  • ◎主な研究指導テーマ:日本思想史
  • 文学研究科 教員プロフィール