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MY INTEGRATE日本学 教員インタビュー

専門分野の垣根を越えた
交流や議論。

その中からブレイクスルー
は起こる。

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大学院経済学研究科 助教

張 婷婷 Tingting ZHANG

自国の発展に貢献するため
専門分野に経済学を選択。

中国の大学で4年間日本語を学んだ後、2010年4月から東北大学大学院経済学研究科の大学院生として研究生活をスタートさせました。日本語学科のカリキュラムの中に日本経済について学ぶ科目はあったものの、経済学に関する専門的な知識はほとんどない状態での進学でした。著しい発展を遂げた日本の高度経済成長期の経験を学んでみたい、日本の良いものを吸収し自国の発展に貢献したいという思いが、専門分野に経済学を選ぶ原動力となりました。

修士課程、博士課程を通じ、近世日本における労働力市場の歴史的な構造と特徴の解明に取り組んできました。研究のきっかけとなったのが、私の指導教員であった長谷部弘教授(2021年3月退職)の書かれた1枚の書評原稿です。それは、『割地慣行と他所稼ぎ-越後蒲原の村落社会史』(中村義隆著)という本についての書評でした。それを読み、近世の日本では他所稼ぎ、いわゆる出稼ぎがすでに行われていたことを初めて知りました。現在にいたるまで、中国では、農民工をめぐる問題(劣悪な労働条件、社会保障や職業訓練機会の格差など)が社会問題となっています。そうした問題につながる研究として、日本の近世期にはどんな労働力の移動があったのか、その規模、特徴を知りたいと考え、研究をスタートさせました。最初に取り組んだのが、新潟県西蒲原郡旧角田浜村・大越家文書の調査です。

近世日本の労働力市場の
社会経済史的な特徴を解明したい。

大越家文書には、18世紀半ばの宝暦年間から明治初期にいたるまでの宗門人別帳及び土地・年貢関係文書、さらに他所稼ぎ関係文書を含む村落行政資料が残されていました。これらの資料の分類・整理、目録の作成、撮影を行うことを通して、一次資料の調査や整理の方法を学ぶとともに、一次資料に即した研究の面白さを実感することができました。

この資料の分析・検討から浮かび上がってきたのは、近世期の他所稼ぎ(労働力移動)が、現代の出稼ぎとある意味でとても似ているということでした。つまり、出身の村、出身の家から離れても、つながりを持ち続けながら他所で暮らしている。必要に応じて家や村の構造を支えながら、「大工」や「木挽」といった特殊技能を生かし、出身地域から離れて暮らしている、という事実です。それまでの研究では、近世期の他所稼ぎは、離村や村外移住、次三男の口減らしといった観点から論じられることが多かっただけに、男性の労働技能をもってする給与所得の獲得など、より積極的な意味を提示できたことは大きな収穫でした。

その後、信州川中島旧今井村を対象に調査を実施し、この村が江戸武家屋敷や松代藩家中向けの武家奉公市場に対する労働力の「供給元」であった一方で、近隣の村落から下人労働力を恒常的に求める「需要元」でもあったということを明らかにしました。奉公人は上、下人は下というように、当時の労働力市場には階層(格)があり、高いところを供給し、低いところを吸収する、労働力市場にはそうした多面性があったのかもしれません。

私の研究の目標は、近世日本の労働力市場および労働力移動の社会経済史的な特徴の解明にあります。労働力市場を出発点にして、産業構造、村落構造、家の構造まで、いろいろな展開が可能だと考えています。これまでの研究は労働力市場の分析が中心であり、まだ産業構造やその先にまで踏み込んではいません。答えのない世界で答えに無限に接近していくことが歴史研究の面白さです。近世期はわからないことが多い、だから掘り下げてみたい。一般のみなさんが考える近世像とは違う、近代とかなりつながりがある近世の姿をお伝えすることができたらと思います。

留学に積極的にチャレンジし、
国際文化を身をもって経験してほしい。
留学に積極的にチャレンジし、
国際文化を身をもって
経験してほしい。

それまでの研究成果を携え、2018年にアメリカ・ボストンで開催された世界経済史の学会、さらに同年ドイツ・ハイデルベルク大学で開催されたワークショップに参加しました。後者のワークショップは、日本学国際共同大学院(GPJS)から経済支援を受け、参加することができました。その時、’The World of Historical Demography, one case of domestic migration in the Tokugawa Japan’というタイトルで報告を行いましたが、報告後の質疑応答や議論に海外の研究者がたくさん手を挙げてくださり、日本の近世期研究、そして古文書研究に対する関心の高さを強く感じました。

ドイツでのワークショップに参加した際に残念に感じたのは、GPJSによって送り出され発表の機会を得た学生3人のうち2人は、私を含め中国人留学生だったこと。日本学を謳いながら日本人の学生が1人だけということに、留学生である私が危機感を持ちました。私はいま、助教として経済学部の2年生を対象にしたプレゼミを担当しています。そこでは機会をみて、奨学金などの経済的支援や留学支援など、GPJSの魅力を話すようにしています。中国人留学生としての自身の経験を踏まえ強調するのは、国際文化を身をもって経験してもらいたいということ。「英語が苦手なので、留学はちょっと…」という学生がいますが、それなら練習すればいいだけのことです。

プレゼミに参加する学生が「日本人とは何か?」という問いを私に投げかけてきたことがあります。その時私はこう話しました。「日本人とは何かを理解するには、日本を一度離れてみるといいと思う。海外に出て、異文化の中に身を置いたら、日本人についての理解はきっと深まるはずです。私自身、中国にいて、中国人として暮らしている間は、『中国人とは何か?』という問題意識はなかった。でも日本に来て初めて、『中国人とは?』いう問いを自分に向けて発するようになりました」。日本も中国も、ヨーロッパもアメリカも、世界中がつながっているグローバルな時代だけに、たくさんの学生に海外留学、それも長期の留学に積極的にチャレンジしてほしい。GPJSはそのための格好の機会だと思います。

GPJSではすでに、ネイティヴを中心とする英語の授業が設けられています。英語による報告・発表のほか、プログラム生の選抜も英語での発表をもとに実施されています。GPJSは今後、さらなるグローバル化、多言語化という方向に進んでいくことでしょう。そのためには、外国籍の教員が必要になると考えます。GPJSに参加する教員の一人として、異分野の研究者との交流を通じて研究成果をあげ、GPJSの場で発表していきたいと思います。

異分野の研究者とのぶつかり合いから
新しいアイデア、発見は生まれる
異分野の研究者とのぶつかり合いから新しいアイデア、発見は生まれる

私の研究はまだ、村ごとに労働力移動の分析を行なっている段階です。つまり、点の研究です。これを面的に広げ、産業構造や村落構造、家の構造の分析にまで発展させていきたいと考えています。そこで重要になるのが、歴史人口学や社会経済学、地理学などさまざまな分野の専門家、研究者との交流です。例えば、日本経済史の研究者と人口史の研究者では、同じ資料を見ても、考え方はまったく異なります。異分野の研究者との国際間、大学間、学部間、学科間の垣根を越えたぶつかり合いの中から、新しいアイデア、新しい発見は生まれ、ブレイクスルーが起こるかもしれません。私にとって、GPJSはまさにそのための場所なのです。

私が経済学を専門分野に選んだ理由の一つに、現代中国が抱える農民工問題への関心がありました。日本の近世期の他所稼ぎについて、歴史学者の視点から研究を進めてきて感じるのは、人々がよりよい生活を求めて行動(出稼ぎ)するという点では、近世期の日本も現代の中国も変わりはないということ。故郷を離れ働きに出るのは、故郷にいる親や子供を養いたいという思いからであり、体は出稼ぎに行きがら、心はいつも故郷にあるのです。農民工問題は、現代中国が直面する課題の一つであると同時に、「現代社会が直面する課題に立ち向かい、人類の幸福を追求すること」を本質とする人文・社会科学にとっても取り組むべき課題の一つではないでしょうか。農民工問題の背景には、中国独特の戸籍制度(農業戸籍と都市戸籍)といった背景もあり、その解決には、経済学や歴史学、法律学、政治学、社会学など、広範な人文・社会科学分野からのアプローチが期待されます。そうしたアプローチに、私の研究が何らかの示唆を与えるものとなるだけでなく、移民の問題などよりグローバルな課題の解決に対し可能性を拓いていく、そうした一助になることができればと考えています。

Profile
  • 東北大学大学院経済学研究科 助教。経済学博士。
    2012年、東北大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。2017年、東北大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。2017年より、東北大学大学院経済学研究科博士研究員。2020年より現職。
  • 主な研究分野:
  • 東北大学 研究者紹介