PRO-pose.

社会を生きる先輩たちの
「プロのポーズ」とは

今の自分の基盤を築いた場所。パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社 人事センター 人事戦略部 部長(兼)採用部 部長 栃谷恵里子さん 宮城県第一女子高校 出身 今の自分の基盤を築いた場所。パナソニック オートモーティブシステムズ株式会社 人事センター 人事戦略部 部長(兼)採用部 部長 栃谷恵里子さん 宮城県第一女子高校 出身

「事業は人なり」を究めていく。「事業は人なり」を究めていく。

「もともと、数字や数学的な思考が好きだったので〝文学部なのに数学的〟というギャップに魅力を感じて行動科学専攻(当時)を選びました。実はその時の選択が、今の仕事に大きくつながっていると感じています」。
そう語るのは、パナソニック オートモーティブシステムズで人事戦略部、採用部の部長を務める栃谷恵里子さん。同社はパナソニックグループのなかで車載コックピットシステムやADAS(先進運転支援システム)および関連デバイスなどの開発・製造・販売を行う企業で、日本国内はもちろん、世界22カ国・地域に事業展開。世界の自動車メーカーとともに、これからのモビリティ社会の共創をテーマに国内6,000人、海外27,000人、計33,000人が活躍している。
「弊社の創業者・松下幸之助の言葉に〝物を作る前に人をつくる〟また〝事業は人なり〟があります。企業にとって最も大事なのは『人財』であるという考え方ですが、これを基本として、グローバルに多様な人材が活躍するためにはどうすればいいのかを見出していくのが仕事のテーマであり、それを遂行していくのが私の役割です。その際に行動科学で学んだ人間と社会の関係性のような〝社会的ジレンマ〟における、さまざまな課題解決を導き出していく、定量的定性的な調査や統計的な分析による推察や思考が生かされていると思います」。

戦略的に勝った水泳の経験。戦略的に勝った
水泳の経験。

栃谷さんは、奇しくも現在の勤務地と同じ横浜生まれ。小学生の時に父親の転勤で仙台に移住した。
「心のどこかで〝親の言うことは素直に聞かなきゃいけない〟と、自分の考えをあまり表に出さない大人しいタイプの子どもだったと思います。読書はしましたが、特に文学少女というわけでもなく、毎日をごく普通に過ごしていた普通の子ども。親から勧められたピアノや書道を習いながらも、実は唯一〝好き〟と思ったのは水泳でした」。 しかし、残念ながら進学した中学校に水泳部はなく、高校進学でようやく小さな夢が叶う。
「水泳部があったのですぐに入部しました。種目は自由形です。100、200、400mそれぞれ泳ぎましたが、ある大会の400m決勝で、戦略的に体力を温存してずっと2位をキープしながら最後に勝負する形で、計画通りに逆転、優勝できた時は嬉しかったですね」。
高校に入学して本格的に始めた水泳で、まさに〝水を得た魚〟となった栃谷さんは、キャプテンを務め、宮城県代表選手となるなど、水泳中心の高校生活を過ごしたという。
「当時は〝ずっと水泳だけしていたい〟と思い、周囲が着々と大学受験の準備をするなかギリギリまで水泳に打ち込んでいました。いよいよ受験シーズンとなった頃、東京の大学に進学したいという淡い希望もありましたが、どうせ親から反対されるだろうし、ろくに勉強もしていないから、地元の大学を受けて潔く落ちようなんて考えていました。当時の母校では〝志望大学を目指すなら浪人なんて当たり前〟のような風潮もあったんです」。
東北大学受験に際して〝今これから最大限の力を発揮しなければ〟と感じた栃谷さんは文学部に照準を合わせて勉強に集中し、スパートをかけ見事に合格した。
「合格を報告した時に校長先生からは〝400mで勝った時と同じ作戦がうまくいったね〟と、からかい半分で褒められました(笑)」。

研究室での議論と学外調査で得たこと。研究室での議論と
学外調査で得たこと。

こうして東北大学文学部に入学した栃谷さんだったが、学びを進めるうち、本来好きだった数学的な領域への学びの興味が高まり、進級時にはその思いを叶えようと行動科学研究室を選択した。
「当時、行動科学の研究室は出来たばかりで、1学年10人程度の構成でした。担当の海野道郎先生とも先輩方とも距離が近く、いろいろと面倒を見ていただいたり、フランクにさまざまな議論をすることができた、とてもいい環境の研究室でした。また、学外に出て戸別調査などを行うフィールドワークもあり、机上の学びとともに実社会との関わり方まで、幅広い知見を得ることができました。調査では年齢や考え方の違う人と接することも多く、多様性、ダイバーシティといった観点で言えば、その時に初見の人と接することで鍛えられた経験は間違いなく現在の仕事に生かされています」。

100年、そしてその先へ。100年、そしてその先へ。

2023年の今年は、日本で初めての文系女子学生が東北大学に誕生して100周年の節目。
「あらためて東北大学文学部の歴史を紐解いてみると、先達の女子学生が開けた扉の大きさと、受け入れた側の偉大さを感じます。極論かもしれませんが、彼女たちがいたからこそ今の自分が存在するとも言えますし、自分の基礎を築いたのは間違いなく文学部でした。それは今後も大きな誇りであり続けると思います」。
普段の仕事では、より深く真剣に一人ひとりと向き合うことが基本だと語る栃谷さん。
「松下幸之助が遺した〝人間は磨けば光るダイヤモンドの原石のようなもの〟という言葉とともに、行動科学研究室で学んだ知見を生かして〝誰もが遠慮なくいきいきと〟社員一人ひとりが自らの持つポテンシャルを最大限解放し、挑戦できる環境をつくるためにこれからも尽くしていきたいですね」。

栃谷 恵里子Eriko Tochitani

1990年3月、文学部社会学科行動科学専攻卒業後、松下電器産業(当時)に入社。卒業論文は「女性の社会的地位に関する研究 ―借用モデル・独立モデル・分有モデルの実証的検討―」。