第 54 回東北哲学会研究発表要旨

「カントの義務類型論──倫理的な完全義務と徳の義務」(仮題)

福田俊章(福島県立医科大学)



 カントが虚言や自殺を厳しく禁じたことはよく知られている。両者はおお むね自分自身に対する倫理的義務に違反するものとされている。それらは法 的な意味での犯罪でないにしても(あるいは、そうである前にそもそも)倫 理的な意味での義務違反なのである。

 もう少し詳しく言えば、自殺をカントはほぼ一貫して「自分自身に対する 完全義務」の違反だとみなしている。カントとて、自殺が他人に対する義務 の違反になる余地を認めないのではない。ただ、他者との関係を云々するま でもなく、自分自身に対する関係において既に自殺は義務に違反するとされ る。

 虚言については、若干の揺れがある。『道徳の形而上学への基礎づけ』で は、偽りの約束(他人との約束における虚言)は「他人に対する完全義務」 の違反とされている。『道徳の形而上学』では、他人の権利を侵害する虚言 は(従って、偽りの約束も)法論の対象として引き続き他人に対する完全義 務の違反だとされるが、他方で一般的に言って虚言は自分自身に対する完全 義務の違反だとされる。こちらがカントの基本的立場と見るべきであろう。 虚言は嘘をついた相手に対する義務の違反になるであろうが、ここでもそう した他者との関係を云々するまでもなく、自分自身に対する関係において既 に虚言は義務に違反するのである。

 いずれにせよ、こうした問題は必ずしも本発表の主題ではない。虚言論や 自殺論といった実質的な義務論を具体的に論じるに先立って、そうした実質 的義務論の形式的な筋目を確認しておこうというのが本発表の意図である。 すなわち、「自殺や虚言は自分自身に対する完全義務に違反すると言 うが、ではこの倫理的な完全義務は実質的な義務論においていかに位置づけ られるのか」ということである。

 虚言や自殺の禁止は完全義務だというのに、どうして不完全義務にしか認 められないはずの「決疑論的な問題」がそれに伴うのか(虚言や自殺も許容 される場合がありうるというのか)。倫理的義務は本来が全て「徳義務」と いう不完全義務だとされている以上、そもそも倫理的な完全義務なるものが あるというのはいぶかしい。では、「徳義務」とは何であり、倫理的な完全 義務とは何であるのか。両者の関係はどうなっているのか。

 こうした問題を取り扱うことによって、カントの実質的義務の体系がもつ 形式的な構造を確認するのが本発表の主旨である。




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