第 54 回東北哲学会研究発表要旨

<日本中世の人間観に関する一考察 --『説経節』をめぐって>

木村純二(弘前大学)



本研究は、日本倫理思想史研究の立場から、『説経節』を題材に、日本の中世における人間観の一端を考察しようと試みるものである。和辻哲郎は、近世に流れ込みながら近代には失われてしまった「室町時代の構想力」を『説経節』の中に見出しており、また、坂部恵は、和辻の指摘を受け、「ひとであることの根源的な哀しみ」をそこに見ている。本研究では、そうした先行研究を踏まえつつ、『説経節』がいわゆる本地譚の形式を取り、今祀られている仏菩薩がもとは「人間」であったと語り出すところに、「人間」を語る物語としての『説経節』の本質を捉えようしている。同じく本地譚形式を取る中世の『神道集』の物語に比べ、人間の物語としての自立度が高いことも、人間とは何であるかを極限的に語ろうとする『説経節』の特徴の表れと言えよう。

『説経節』の人間観の特質は、「親子」という関係を最も根源的な人間の在りようとして捉えている点にある。『説経節』は、「家」の繁栄というかたちで親子関係の成就を語る一方で、それと鋭く屹立するかたちで眼前の「親」や「子」に対する情愛を代替不能なものとして描き出そうとする。それは、近世において儒教思想により体系化された、「生む」という自然的生々に基づく「家」の持続を人間のよりどころと見る人間観と、古代末期以降浄土教思想の浸透により形成された他界における救済をよりどころと見る人間観との葛藤として捉えることができよう。

本研究では、そのような見通しの下、日本の思想史的展開を視野に入れつつ、人倫と他界、生と死(あるいは再生)等の問題について、『説経節』の語る人間の在りようについて考察する。他の時代領域に比べ研究の遅れている中世後期の思想を捉えるための試論ではあるが、本地譚の一つの変容である『説経節』への考察は、今後、日本における「神」と「仏」の関係如何、あるいは民俗学で問題とされる祖霊神と外来神(「まれびと」)の関係如何、といった問題へと連なるものである。



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