第 54 回東北哲学会研究発表要旨

<キルケゴールにおける美的領域論 --アドルノによるキルケゴール批判検討>

米沢一孝(東北大学)




アドルノはキルケゴールを題材にした論文を著している。この論文は、発刊当初以上に 現代のキルケゴール研究において重要な地位を占めていると思われる。アドルノは『キル ケゴール 美的なるものの構築』において、キルケゴール思想解釈における重要なキーワ ードを上げ、その意味を明示しつつ批判的にキルケゴールの思想を解釈する。

キルケゴールにおける著名な思想に実存の三段階説があるが、諸段階は領域とも称され、 その実存としての人間が生きる三領域の一つに美的領域がある。キルケゴールは美的領域 内に音楽の領域と言語の領域を設定するなどして、この三領域内のそれぞれで同様の領域 区分を行う。諸領域にはそれぞれ質的差異があり、それゆえに質的に異なる領域の観念を 別の領域に生きる人間に伝達するには、ある媒体によってその観念を媒介する必要がある。

アドルノは、以上の一連の伝達に関する議論において、特に「媒介」に注目する。アド ルノはここにヘーゲルからの影響を看破する一方、次の議論に注目する。伝達を「芸術作 品」と記した箇所である。アドルノはこの一節の重要性を認識し、キルケゴールにおける 「美的なるもの」を分析する。

この「美的なるもの」の分析においてアドルノは、キルケゴールによる「領域」論の非 社会性を批判する。こうした批判には、アドルノが「社会学的」視点から音楽を解釈しよ うとする意図が顕現しているが、その一方でこうした意図における音楽論が、キルケゴー ルのごとき素朴な音楽への愛を表現することを不可能にしてはいまいか。芸術の受容にお いて、常にその作品の社会性を意識するのか否か。キルケゴールの芸術論は、アドルノに よる「音楽社会学」の試みに異議を唱える機縁となりうるのではなかろうか。




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