第 59 回東北哲学会研究発表要旨

知覚と解釈
――フッサール現象学における統握理論をめぐって――


梶尾悠史(東北大学)

本稿でわれわれは、フッサールに依拠しつつ、解釈と呼ばれる作用がとりわけ非言語的な知覚経験においてどのように機能しているのかを論じる。この考察でわれわれが重視するのは『イデーンT』に登場する「X」という概念である。

『論理学研究』において質料と解釈作用を峻別する二元論的な統握理論が提唱された。この二元論的な傾向が『イデーンT』へと部分的に受け継がれる。すなわち、知覚意味の内部で再び、非概念的ないし直観的に把握されるX(基体)が、概念的な意味の要素である諸規定から分離されるのである。

それにもかかわらず本稿は、直観と解釈を対立させるのではなく、むしろ、これらを知覚にとって不可欠の二つの契機として理解すべきであることを提案する。そのためには、知覚意味のXの二側面が等しく理解されねばならない。第一に、D.W.スミスが提案するように、知覚意味のXは知覚対象そのものを表す「これ」の個別的意味である。Xは「『概念的』媒介なしに、知覚がわれわれの眼前に呈示してくれるがままの対象『それ自身』を思念する」という、直示的な意味機能を有する。第二に、たとえばA.ギュルヴィッチの論述が示唆するように、知覚意味のXは諸規定を統制する概念枠としての「何」の類型的意味である。このようなXは、多様な述語が知覚の主題に照らして適切であるか否を判別する基準として、前もって与えられた原解釈的な意味である。

知覚経験を概念から独立に達成される非解釈的な直観と捉えるか、それとも概念の助けを不可欠とする解釈作用の一種と捉えるか、という両立不可能な選択に重ねて理解される限りで、以上の二側面は対立する。裏を返せば、基体と規定を綜合する能動的な働きに解釈作用を限定するというバイアスを除去することによって初めて、われわれは知覚における直観と解釈を等しく精確にとらえることができる。本稿で、『経験と判断』に依拠して、この課題に取り組むフッサールの思索の一端を示したい。




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