東北大学フランス語学フランス文学研究室
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留学・就職について | 留学体験記就職体験記学生のエッセー進路・進学先


留学体験記

ストラスブール(学部4年)

ある日、家に帰ると、ポストにストラスブールから封書が届いていた。この頃何とはなしに気になっていた留学関係の書類である。早速開けてみると、留学が 正式に決定した、その案内であった。学部4年の5月頃のことで、周りの友達が就職の内定をもらったり、公務員試験を受けたりと、将来に向けて着々と進路を 決めていく中で、漠然と留学するとだけ頭に描いて日々を過ごしていた私にとっては、何ともほっとする一通の手紙だった。

留学を思い立ったのは、2年の夏に語学研修で1ヶ月、フランスのブザンソンという街 に行った後だった。自分のつたないフランス語でも、何かを相手に伝えることができるとわかった時のあのうれしさ、それが忘れられずもっと上手く話せるよう になりたいと思ったのである。当時、日本語教育学を専攻していた私は、転専攻して仏文で勉強することとなった。 交換留学の枠内でフランスの大学を探してみると、ストラスブール、グルノーブル、レンヌに留学できることがわかった。前記の二大学には奨学金が出るという こと、そしてストラスブールには語学研究の優れた教授がいるということで、ストラスブールに決めた。フランス一寒い地方という噂もきいていて、寒さの苦手 な私は最初あまり気がすすまなかったのだが、以前にフランス人の先生が、「とてもきれいな街ですよ。でもあそこはフランスではありませんね。」と言ってい たのを思い出した。ドイツとの国境沿いに位置する、2つの国のアイデンティティーをもった街。それに気をひかれた。

具体的な手続きは3年の夏休み明けに始まった。10月末までに教務課に、語学能力証明書、教務課からいただいた書類、教授の推薦状、成績証明書などを提出 した。東北大の中で交換留学生として正式に決定したのが11月頃だったように思う。そして、ストラスブールから届いた書類に記入し、願書、成績証明書、語 学講師の推薦状をつけて、3月末に留学生課に提出した。その結果が5月になってようやく届いたのである。

留学が決まってか らは、慌しくなるかと思っていたが、周囲の期待とはうらはらに私は 妙にのんびりしていた。本当に自分が留学するという実感がもてなかったのだ。さすがに、友達と最後に食事に行ったりした後は悲しくなったが。日本で最後の 夕餉には、母が私の好きなものばかりを作っていた。食べたものの味よりも、最高に食べあわせが悪かった、ということが記憶に残っているのだが、それもまた いい思い出である。 かくして、フランスはストラスブールへ旅立った。

何よりも私が一番不安に思っていたの は、無事にストラスブールまでたどり着けるか、ということだった。東京、香港、シャルルドゴール、北駅、東駅、ストラスブール。考えただけで頭が痛かっ た。誰に言ってもそんな私の不安は笑ってとりあってくれなかったのだが。私をよく知っている家族だけが異常に心配していた。 しかし、予想とはうらはらに、何のトラブルもなくストラスブールにたどり着くことができた。駅には、ルノーのプログラムで先に渡仏していた先輩と、フラン ス人のチューターが迎えに来てくれていた。3人でトラム(路面電車)に乗って、私の住むことになる寮に向かった。アジア系の容貌のチューターを、私はてっ きり日本人だと思い込んでいて、どうしてこの人はこんなになまりのない、きれいなフランス語を話すのかと、悲しくなったりしていた。フランス人だと分かっ たときは拍子抜けしたけれど。私の部屋の前まで来て、チューターが私に鍵を渡して、「C'est toi qui ouvres la porte」(ドアを開けるのは君だよ)と言った。ドアを開けると、大きな窓と、そこから差し込むまぶしい夏の光、それに反射してぼおっと明るく輝く白い 壁、などが目に入ってきた。川沿いの部屋で、教会や、トラムの駅、カテドラルの尖塔なども見えるのだった。

それからの2週 間はオリエンテーション週間で、他の日本人学生や国際関係担当の方々 との食事会、日用品や携帯の購入、大学の入学手続き、滞在許可書の申請、街の観光などで慌しく過ぎていった。手続き関係も、他の日本人学生と一緒に一括し て行われたのには驚いた。さぞかし面倒だろうと、心配していたからだ。そんな心配も無用だった。全てゆっくりと流れていった。 今回の国立7大学とストラスブール・グルノーブル間の留学生はプログラム8と呼ばれていて、エラスムスとはまた別の枠組みになっている。このプログラムは 今年で3年目を迎える。ルイ・パストゥール大学の国際関係担当の方が事務的な手続きをしてくださったり、学生間の親睦の会を催してくださったりと、いろい ろと面倒を見てくださっている。 ストラスブールの場合、前期は語学学校でのフランス語の授業の他に、英語で行われるフランス文明講座(経済、教育、ヨーロッパ史、地理、フランス文化な ど。徐々にフランス語に切り替えられていく)が用意されている。語学学校でのフランス語の授業100時間と、フランス文明講座の授業を5つ以上とること で、Strasbourg carrefourというdiplome(資格)が授与されることになっている。

しか し、いくつか問題点も見られた。フランス語の授業と文明講座の授業の時間割が重なっていたこと。語学学校のオプションの授業を私たちはとっていたのだが、 それまでとる必要はないと後で知らされたこと。フランス語と英語のレベルのばらつき、などいろいろあったが、来年からまた改善されていくことを願う。 12月、マルシェ・ド・ノエルで街がにぎわう頃、グルノーブルの学生がストラスブールにやって来た。一緒に食事をしたり、レンタカーでワイン工場に見学に 行ったり、ちょっとした遠足のような感じだったのだが、話をきいているとどうもストラスブールと待遇が違うことがわかった。ストラスブールでは学生1,2 人に対しフランス人または日本人のチューターが1人ついているのだが、グルノーブルの場合全員に対して1人しかついていない。また、英語での文明講座やフ ランス語の授業が用意されておらず、最初から大学の授業に参加している。など、このように違いはあるけれど、グルノーブルにはグルノーブルの良さがあると 思う。実はこれを書いている今週末から、ストラスブールの学生がグルノーブルに行く予定になっているのだが、どんな街なのか楽しみである。 そして後期から大学の授業に参加している。基本的に自分の望む授業に好きに登録することができる。大学の授業に参加するかわりに、stage(研修)を選 択することもできる。一昨年はヨーロッパ議会で研修をした学生もたようだが、今年はうまく研修先が見つからなかったらしく、みんな大学の授業に出ている。 研修を望む場合は履歴書と志願書を留学生課の国際関係担当の方に提出し、研修先を斡旋していただく。私は言語学の学部生用の授業を4つとっているが、さす がにフランスなだけあって、授業の豊富さには驚かされた。授業を受けていてやはり聞き取りの弱さを実感する。満足にノートもとれない時など気が滅入ってし まうけれど、ノートを借りたり、参考文献を読んだりして自分で補うしかないと思っている。

ストラスブールに来て早7ヶ月。 半分は過ぎてしまった。街には何本か桜の木も見られ て、今はもうす既に散ってしまったが、散った花びらを見るたびに、少し切ないような、懐かしいような、そんな不思議な気分にとらわれて、遠い日本を思った りもする。今は木蓮やミモザが花盛り。まぶしい日差しに目を眩ませられたり、夏時間になって時計の針を1時間遅らせたりと、そこかしこに夏の忍び寄る気配 がしている。


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