東北大学フランス語学フランス文学研究室
Haut de page
Plan du site
Contactez nous
 
RUBLIQUES
研究室紹介
沿革
研究室紹介
教員紹介
所属学生一覧

入学・進学希望の方へ
研究室Q&A
大学院進学案内
学生紹介
とある学部生の一日
研究室催事

留学・就職について
留学体験記
就職体験記
学生のエッセー
進路・進学先

所属学生へ
シラバス
月例研究発表会
読書会
論文題目一覧

講演会・出版物
講演会等
『フランス文学研究』
研究室NEWS
出版物
リンク
お問い合わせ

 

TOPページ > 留学・就職について / 留学体験記
留学・就職について | 留学体験記就職体験記学生のエッセー進路・進学先


留学体験記

モントリオール(博士課程)
フランス語圏ケベック州への留学について

廣松 勲
(現日本学術振興会特別研究員PD:元東北大学大学院フランス語フランス文学研究室)

【はじめに】
私は2006年9月から凡そ6年間、カナダはケベック州にあるモントリオール大学(Universite de Montreal:略称UdeM)に留学をしました。所属は、高等研究学部(Faculte des etudes superieures:日本の大学院に当たる)のフランス語文学科(Departement des litteratures de langue francaise)の博士課程でした。

修士課程在籍中に、すでにストラスブール大学への留学経験がありました。しかし、私の専門分野である「フランス語圏の文学」、特に「カリブ海域文学」を研究するには、やはりフランス本土以外の地域での長期滞在が欠かせないと思い、モントリオールを選びました。もちろんのことながら、当初はカリブ海域のフランス海外県マルティニック島にあるアンティユ・ギアナ大学への留学も考えました。しかし、マルティニック島での数度の滞在の後、研究環境や日本との移動などに鑑みて、最終的には世界第2の規模をもつフランス語圏であるモントリオールを選びました。

本留学体験記では、モントリオール大学での博士課程の諸段階を追いながら、簡単に学生生活・研究生活をご紹介したいと思います。その上で、最後に、留学中や帰国してから気付いた留学・研究生活上の注意点などを記述したいと思います。

≪留学前から「総合試験」まで≫

【留学準備、奨学金など】
まず、留学前の段階において、ケベック州の大学に留学するには、2つの学生ビザが必要とされました。つまり、「カナダ連邦政府の学生ビザ」と、「ケベック州の学生ビザ(CAQ)」です。このように、2重の学生ビザが必要とされるのは、ケベック州はカナダ全州の中でも唯一、独自の移民政策を取っているためです。そのため、十分な時間を確保して、留学準備に取り組む必要がありました。

順序としては、まずケベック州の学生ビザを取得した後、連邦政府の学生ビザを取得するという順序になっています。原則的には、同時に申請は出来ないとされています。ただ、ケベック州移民局や連邦移民局における審査の段階で、不備の無い確りとした必要書類が揃っていて、また(新規にせよ、更新にせよ)ビザが早急に必要な事由が明示されていれば、比較的早く発行をしてくれる印象がありました。

このようなビザの申請を行なう以前から、奨学金の申請なども行なっていました。私の場合はどうしてもカナダ政府による博士課程留学者対象の給費奨学金(カナダ研究助成金プログラムの一つ:正確な名称は失念いたしました)を取得したかったのですが、残念ながら叶いませんでした。さらに、私が留学をした2006年後期以降(2007年からだったかもしれません)、この給費奨学金は無くなってしまいました。そのため、私の留学期間中は、後半から研究助手による給与や他の研究助成金を頂けたとはいえ、ほぼ私費での留学となってしまいました。

ただ、私のように私費で現地での留学生活を始めたとしても、モントリオール大学には各種の奨学金が揃っているため、留学途中から何らかの奨学金を受けることは十分可能な環境です。理想的には、留学前に奨学金を獲得することが重要ですが、もしもそれが叶わなくとも、現地で再度奨学金の取得を目指しながら、学習・研究を続けることも可能です。

【滞在先での住居の確保】
留学中の住居の選定に関しては、現地に知り合いの先輩がすでに在住していたため、最初の1週間ほど先輩のお宅に滞在させて頂きました。その間に、新聞や大学の掲示板などを見て、住居を探しました。居住形態としては、学生寮やアパート(bloc appartement)の一室での一人暮らし、または大きめのアパートに共同で済むシェアルーム(colocation)がありました。私の場合、最終的に留学する決意をした時期が遅かったため、学生寮はすでに1000人近い待機学生がおり、その選択肢はありませんでした。ただ、この点も、出来るだけ早めに(夏以前に)学生寮の予約をしたり、現地で一端住居を決めた後に学生寮の空きを待ったりすることは可能です。シェアルームという選択肢もありましたが、家賃が割安になる半面、人間関係で疲弊してしまいそうであったため断念しました。

最終的に私の選んだ場所は、大学から歩いて15分程の地区にある、一軒家の半地下でした。冬場も夏場も寒い部屋でしたが、暑がりの私にはとても快適な環境です。大家さんが一階に住んでいたということもあり、何らかの不具合が生じた場合に、すぐに連絡ができたというのも便利でした。大学の友人からは、半地下での生活は湿気によって骨に悪影響があるというオカルトめいた(?)話も聞きましたが、結局一度も引越しをすることもなく、同じ部屋に住んでいました。

家の近所には、24時間営業の店舗(コンビニ、スーパー、カフェ)があり、またフランス語系の書店も何軒かあったため(英語系の書店しかない地区もあり)、研究環境は文句なしの状況でした。居住地区に関してとても印象深かったのは、ハイチ系ケベック移民作家Emile Ollivierの小説の舞台にもなったカフェLa Brulerieが近隣に存在し、今もそこがハイチ系知識人の会合場所であるということでした(以前と比べ規模は縮小したようですが)。このカフェで出会った友人や研究者、さらには作家などとの会話は忘れることができません。また、それとは別の近所の通りは、インド系の移民の方が多く住む地区で、英語とインドの言葉が主に話されるという状況も興味深いものでした。この通りではフランス語を聞く機会も話す機会も殆どありませんでした。この地区のように、モントリオールでは、地区を跨ぐたびに言語共同体が突如変わることもありました。このような多言語の状況で生活できたことも非常に有意義な経験でした。

【日常生活全般】
モントリオールは冬が厳しい地域としても知られています。吹雪の際には非常に難儀するのですが、特に寒さが酷かったのは、強風の晴れた日であったように思います。そのような日には、時には−30度以下になることもあり、衣類や靴なども、確りとした防寒具を揃えなくては危険な状態でした。事前に日本で購入していた防寒具ではやはり不十分な状況で、そのため結局はほぼすべての衣類を現地で買い直すことになりました。

多文化社会ということもあり、食事に関しては、様々な国の料理を手軽に食べられる環境にありました。チップ制度があるために(通常は約15%)、留学直後の円安の時期にはやや割高に感じることもありましたが、現在では比較的安く外食も済ませられるようになってきています(2012年8月8日現在、1カナダドル=79円弱)。ケベックの料理としては、ハンバーガーやフライドポテトなどのアメリカ風の料理が多く、特に「プーティン poutine」という料理が知られています。基本的なプーティンとは、フライドポテトにチェダーチーズの粒をのせ、その上からグレイビーソースをかけたものです。お店によっては、様々な素材を加えたプーティンを食べることができます。非常にカロリーが高く、一気に体重の増える原因となる食事でした。

【ケベック州のフランス語】
さて、留学直後の頃に最も困ったのは、当然ですが、フランス語でした。単にフランス語能力が不十分であったという点もあります。しかし、それと同時に、特にケベック州のフランス語(の発音、統辞、語彙など)に、(一定程度)慣れるまでに非常に多くの時間を要したためです。

ケベック州のフランス語は、「ケベック語 quebecois」という言葉もあるように、フランス共和国を中心とした所謂「標準フランス語」とは(特に発音レベル、また統辞や語彙レベルでも)大きく異なる言葉です。ケベックの歴史を見ると、このようなケベック・フランス語の特質の保存と普及、さらには社会的地位の向上はとても大きな課題でした。例えば、1960年代の「静かな革命」と呼ばれた脱宗教化を中心とした急激な近代化時期におけるケベック・ナショナリズムの勃興による「ジュアルjoual」の見直しや、それ以前から続く英米文化に対する「フランス文化・言語」の生き残りをかけた「フランス系カナダ人」の運動などが挙げられます。つまり、ケベック州のフランス語は、主に英・米の英語やフランスのフランス語などとの「ダイグロシア(2言語併用状況)」における、絶えざる葛藤の中で育まれてきた言語であるといえます。

【大学の学期、授業、試験など】
このような言語状況にあったとはいえ、大学内では、基本的には標準フランス語に近いフランス語で授業が行なわれました。ただケベック出身の学生の中には、ときどき非常に強いアクセントをもった方もいました。

大学は、秋・冬・夏という3学期制で、夏には主に集中講義や補講が行なわれていました。私の所属したフランス語文学科の講義は、主に文献読解と発表を中心とする講義と、博士論文執筆のための方法論を学ぶ講義に分けられます。前者に関しては、ほぼ日本における学部の授業と同じような、講義形式の授業が6週ほど続きます。その後、残りの授業はすべて学生たちの発表時間にあたります。この発表が授業の成績のほぼ半分を占め、残りは授業後に提出するレポート論文で評価されます。

方法論の講義は、2学期に渡って行なわれました。この授業は必修であるだけでなく、この授業の単位を落とせば、即退学になりかねないという、緊張を強いられる授業でした。内容としては、一般的な博士論文の第1部にあたる方法論をいかに執筆するかが教授されました。同時に、この授業は、博士課程2年生の段階で通過する必要のある「総合試験」に向けたものでもあり、申請書類の執筆方法や書誌目録の作成方法、さらに発表方法など、事細かに指導がなされました。

【総合試験(examen de synthese)】
「総合試験」は、博士論文の執筆資格があるかどうか?を判断するために行なわれる試験です(昔の言葉で言うなら、フランスにおける「DEA」に当たる段階といえます)。この試験に関しても、もしも通過できなかった場合には再試験があり、それでも通過が叶わなかった場合には退学になるという、非常に厳しい条件を課されていました。内容としては、博論構想(背景、問題提起、仮説、分析対象、分析方法など)の発表と質疑応答で構成されます。

博論構想に関しては、試験の1カ月ほど前には大学に博論構想を提出し、その後審査官となる3人の先生それぞれからの質問がメールにて送られてきます。質問送付は試験の1週間前なので、この1週間のうちに、各質問に対してA4で10枚近い返答を用意することが要求されました。当然ながら、試験当日には、それらの返答を行なった後にも質疑応答が続きました。ちなみに、この総合試験の段階は、学部によって異なるようでした。

私の場合、留学中で最もきつかった時期は、博士論文の口頭試問以上に、この試験の前後の時期でした。とにかく、申請書類の作成に細心の注意を払わなくてはならないこと、質疑応答に向けて短時間に執筆しなくてはならない量が多かったこと、また不得手な質疑応答に長時間耐えなければならないことなど、考えるだけで、今も緊張してしまいます。

この総合試験が終わると、「博士候補生Ph.D.Candidate」という肩書を名乗ることが許されます。同時に、正式に執筆期間に入ることになります。

【中間報告(rapport d’etape)から口頭試問(soutenance)、そして卒業式】
その後は、三年目に、途中経過を文面で報告する「中間報告」という段階がありました。この段階は、指導教官との相談の上、特に問題もなく通過することができました。

ただし、指導教官からは、留学中にも拘わらず日本に帰国して発表をしたり、博論以外の論文を執筆したりすることには、十分に注意が必要だと繰り返し注意をされていました。私の場合、すべて博論に関係するものであることを何度も説明しながら、研究活動を続けていました。

その後、一般的には5年目に博士論文の「口頭試問」が行なわれますが、私の場合は1年遅れて6年目でした。その直前には、指導教官と幾度も会合を重ね、内容の加筆修正・再確認だけでなく、どの辺りが質疑応答で指摘されそうか、誰を審査官(指導教官以外の内部審査官2名と外部審査官1名)として選定するかなどを話し合いました。

大学に博士論文のコピー(合計5部)を提出した後、およそ3カ月から半年の後に、口頭試問の時期が決定されます。審査官の先生方の予定によって、口頭試問の時期決定には大きな差があります。その後、口頭試問は一般公開であるため、試験当日の数週間前には、大学HPにある「掲示板 mur mitoyen」に、博論の要旨と日時が公示されます。

これらの申請手続きに加えて、口頭試問後に行なわれる打ち上げパーティーも準備しなくてはなりませんでした。それというのも、試験を受ける学生自身がすべて自費で、パーティーを用意する慣習があったためです。そのため、口頭試問の直前の段階で、試験準備だけでなく、打ち上げ準備にも追われることになりました。

口頭試問の会場は、モントリオール大学の新しい教室(視聴覚教室のような場所)で行ないました。試験が始まると、まず挨拶などを述べた後、30分程度で博士論文の要旨を発表しました。その後、それぞれの審査官からの質問に、一つ一つ返答を加えていくことになります。審査官ごとに約40分程度の質疑応答が行なわれ、最後に会場との質疑応答となりました。その後、審査官以外はしばらく教室の外で待機することになり、その後教室に戻ってから試験結果が発表されました。途中から、不眠と疲労のため、あまり上手く受け答えの出来ない状況になってしまいましたが、何とか口頭試問には無事に通過することができました。

打ち上げパーティーは、事前にお願いしたケータリング・サービスの方が準備をしてくれていたお陰で、スムーズに始めることができました。一般的にはアルコール類も出すそうなのですが、そのためには事前に有料のアルコール許可証を所得する必要があったため、断念しました。また、他の方の打ち上げに参加した際には、食事や飲み物を含めて自分ですべてを用意していましたが、やはり数人の友人などの手助けがないと、口頭試問直後に準備を行なうのはやや難しいようにも思いました。とはいえ、指導教官や審査官、さらに口頭試問に参加してくれた友人などとの打ち上げは、非常に感慨深いものがありました。

【卒業式(Ceremonie de la collation des grades)】
口頭試問が終わると、次は「卒業式」の段階に移ります。私の場合、口頭試問が3月末にあったために、ぎりぎり参加することができました。

恐らくフランスや日本の多くの大学とは異なり、モントリオール大学ではかなり大々的に卒業式を行ないました。博士の卒業式は、学士と修士の卒業式とは、別の日程で行なわれます。服装に関しては、確りとした法衣や帽子を着用する必要があり、当日は開始数時間前からレンタル法衣などの着付け時間がありました。会場は、モントリオール大学の大講堂で、300人強に及ぶ博士号取得者とその近親者、合わせて500人以上の人々が集まりました。1人1人の学生の名前や所属、博士号の分野などを呼ばれると、呼ばれた学生は壇上に上がり、そこで卒業証書などを学長と学部長から受け取ることになります。

300人以上の学生が同様の手順で卒業証書を受け取るため、卒業式は3時間以上に渡りました。途中で、中休みのような時間があり、その際には音楽学科の学生が徐にチェロの演奏を始めるという趣向を凝らしたものでした。

このような卒業式が終わると、博士課程のすべての段階が終了です。「名残惜しいけれど、長く居過ぎた」という相反する気持ちが交差する中で、帰国の途につきました。

【おわりに:留学以後】
このような長期に渡る留学生活を終えて、その注意点として考えられるのは、以下の3点でした。

1)
まずは、もし研究者としての人生を考えている場合には、留学中であっても、何らかの方法で必ず日本との繋がりを維持しておく必要があるということです。日本での就職を考えている場合はもちろんのこと、海外での就職を考える際にも、日本との繋がりは重要のように思いました。なぜならば、いくら海外に長く居ようとも、やはり出身地域の文化などとの繋がりを保っておくことは、研究遂行中も日常生活上も、とても有益なことのように感じたからです。
研究に関して言えば、比較分析の視点から分析領域・方法を拡大できる可能性もあるといえます。また、日本との人的繋がりを保持することで、海外での人的繋がりを拡大することに繋がることもありえます。日常生活に関して言えば、もちろん、受け入れ国の文化に適応するためには、出身国の文化の“禁欲”をする必要はあります。しかし、出身地域の文化などとの繋がりは、物事がうまくいかなくなったり、ホームシックに罹ったりした場合には、精神安定の重要な1要素のように思うのです。

2)
次に、私のようにフランス共和国以外の地域に留学をする際には、フランス語の違い、あるいは複数のフランス語の存在を常に意識しながら、フランス語を学習する必要があるという点です。この点に注意すべきなのは、フランス語圏地域におけるフランス語の所謂“訛り”を無意識に習得してしまうことは、もしもフランス語を教える立場になった時に、やや問題が生じるように思われるからです。それというのも、日本に限らず、フランス語学習者の多くが「標準フランス語」を学びたい(学んでいる)と考えている状況に鑑みると、そのような“標準”という視点を一端引き受けた上で、複数のフランス語の“差異”を認識・教授しない場合、或る意味で“歪な”フランス語を教授する可能性があるからです。フランス語の授業で、どの(ような)フランス語を教えるのか?という点に関しては議論の余地があると思います。ただ、日本などで学んだ“標準的な”フランス語を忘却しないように、常日頃気を付けて留学生活送る必要もあるように思いました。

3)
最後に、フランス語圏への留学は、研究者志望の人々にとっては、1つのリスクでもあることを認識する必要もあるように思いました。それというのも、そもそも日本におけるフランス文学研究の分野では、フランス語圏の文学はまだとても小さい(ニッチの?)分野であり、現在のところ必ずしもフランス語圏文学に関する研究蓄積が多くあるとは言えません。また、就職の際に、フランス政府給費でのフランス留学への評価は非常に高いものである一方、フランス語圏のそれは評価が判然としないというのが、これまで様々な先生方に聞いてきた私の印象です。確かに、ニッチの分野であり、徐々に注目を集めている分野であるという点から、就職活動の際に有利に働く可能性は否定できません。しかし同時に、それだけ需要も少ないという可能性も念頭に置いておく必要があります。

このようなリスクを出来るだけ軽減するためにも、恐らく他の研究領域(地域研究、社会学、政治学、言語学、言語教育など)や研究対象(分析対象を一地域、一国、一言語に留めないなど)との横断的研究が不可欠だといえます。しかし、この横断的研究に入り込むためには、まずは自らのアイデンティティとしての研究領域での成果を客観的に証明できる業績などを作っておく必要があります。さもないと、主専門も副専門も、いずれもいい加減なものであると判断されかねないからです。つまり、フランス語圏に留学し、かつ研究者としての人生を希望する場合には、より長期的視点から、より戦略的に、留学生活と研究生活を考えておく必要があると思います。


△ 前のページに戻る
▲ このページのTOPへ

 

RUBLIQUES
  研究室について
 沿革
 研究室紹介
 教員紹介
 所属学生一覧
入学・進学を希望する方へ
 研究室Q&A
 大学院進学案内
 学生紹介
 とある学部生の一日
 研究室催事
留学・就職について
 留学体験記
 就職体験記
 学生のエッセー
 進路・進学先
所属学生へ
 シラバス
 月例研究発表会
 読書会
 論文題目一覧
講演会・出版物
 講演会等
 『フランス文学研究』
 研究室NEWS
 出版物
 リンク
 お問い合わせ

©2010- 東北大学フランス語学フランス文学研究室 All Right Reserved.