東北大学 文学研究科・文学部 Digital Museum 歴史を映す名品

東北大学附属図書館・狩野文庫 加保茶宗園編『柳巷名物誌』

現代日本学 教授 高橋 章則 Profile

図2:一浜による「待客図」

金銭を介した男女の出会いの地であった遊郭「新吉原」は、他方では地方から江戸にやってきた文化人と江戸在住者との交流や文化活動の拠点でもありました。そればかりではなく、郭内の遊女たちが「個」の行為とりわけ文芸活動を充実させ、成果を発信する場でもありました。

そんな遊女達の文化発信の有り様を物語るのが狩野文庫蔵『柳巷名物誌(りゅうこうめいぶつし)』です。
「柳巷」とは新吉原の雅称。「名物誌」とは四季の景物や年中行事、風物などを盛り込んだ書物を意味します。本書は、天保5年(1834)1月に告知した31種の歌題(「兼題(けんだい)」)のもとに同年2月28日を期限として全国から寄せられた狂歌作品を「浅草庵春村(せんそうあんはるむら)」が「撰者」となってまとめられました。後に国学者として知られる黒川春村はこの時期、「浅草庵」号を襲い「壷側(つぼがわ)」という全国組織を率いており、壷側に所属する作者を中心に全国から応募された作品は3月20日に開催された撰評の会を経て刊行に至りました。※

図1:『柳巷名物誌』の奥付

図3:浅茅生による狂歌(右・中央上)

この全国規模の一大行事を主催したのが新吉原の妓楼大文字屋の主人「文字楼本成(もんじろうもとなり)」であり(図1)、本成は撰評の会当日に開かれた「依花待客」「籬女郎花」を歌題とした即興の歌合(「当座」)では撰者も務めていました。そして、同楼の遊女「一浜(ひとはま)」と「浅茅生(あさじう)」はこの催し全体を「補助」する役目を担い、「一浜」は狂歌作品を寄せたばかりではなく挿絵も描き(図2)、「浅茅生」は十首の入撰を果たしました(図3)。ちなみに、浅茅生は翌天保6年刊行の狂歌集『紅叢紫籙(こうそうしろく)』を編集し、同8年刊の『柳花集(りゅうかしゅう)』では「撰者」を務めています。

図4:北尾政演画『吉原傾城新美人合自筆鏡 前編』天明4年(1784)序

図5:『柳巷名物誌』の「兼題広告」

近代になって「狂歌」人口は激減し、『柳巷名物誌』のような狂歌本の成立過程や狂歌の歌合の「撰者」・「補助」といった関係者の学芸活動の実態に目が向けられることがなくなってしまいましたが、彼らは毎月(「月次(つきなみ)」)の作品評価会・学習会を主宰したり参加したりして、文芸を日常に取り込み、着実に「知」の集積を行っていたのです。その形跡は、狂歌集はもとより「兼題広告」や「甲乙録」(成績表)のような「摺物(すりもの)」を頼りに再現することが可能です。遊女達が妓名で作品集や狂歌関連資料に頻繁に登場するのを見ると、彼女たちが心身に厳しい現実の中で知的な自己研鑽の時間を確保していたことがわかります。

東北大学附属図書館狩野文庫は、北尾演政の挿絵で有名な『吉原傾城新美人合自筆鏡(よしわらけいせいしんびじんあわせじひつかがみ)』(図4・東北大学デジタルコレクション所載)のような遊女関連の稀覯本(きこうぼん)ばかりではなく、江戸時代の著名狂歌作者が所有した多くの「月次狂歌集」などを収蔵し、国内有数の狂歌本コレクションを形成しています。

※板本には現れない出版情報は筆者蔵の「柳巷名物誌 蜜画極彩色/序跋付厚表紙/袋入大本出来 全二冊」という「兼題広告」にもとづきます。(図5)

参考文献:高橋章則「表現される遊女から表現する遊女」(『男と女の文化史』東北大学出版会、2013年)参照。

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現代日本学 教授 高橋 章則