金銭を介した男女の出会いの地であった遊郭「新吉原」は、他方では地方から江戸にやってきた文化人と江戸在住者との交流や文化活動の拠点でもありました。そればかりではなく、郭内の遊女たちが「個」の行為とりわけ文芸活動を充実させ、成果を発信する場でもありました。
そんな遊女達の文化発信の有り様を物語るのが狩野文庫蔵『柳巷名物誌(りゅうこうめいぶつし)』です。
「柳巷」とは新吉原の雅称。「名物誌」とは四季の景物や年中行事、風物などを盛り込んだ書物を意味します。本書は、天保5年(1834)1月に告知した31種の歌題(「兼題(けんだい)」)のもとに同年2月28日を期限として全国から寄せられた狂歌作品を「浅草庵春村(せんそうあんはるむら)」が「撰者」となってまとめられました。後に国学者として知られる黒川春村はこの時期、「浅草庵」号を襲い「壷側(つぼがわ)」という全国組織を率いており、壷側に所属する作者を中心に全国から応募された作品は3月20日に開催された撰評の会を経て刊行に至りました。※