この写本は、平安時代の延久5年(1073)、大江家国(おおえのいえくに)が書写したもので、本文は中国南朝の宋の裴駰(はいいん)による注釈『史記集解』にもとづいています(図2)。東北大学蔵本は巻十孝文本紀の1巻、形態は巻子本(いわゆる巻物の形)で、縦28.5cm×横972.7cm、横50cm前後の料紙16紙を継いだものです。この写本の一連の巻(僚巻)で現存するものとしては、毛利報公会蔵(毛利博物館)の巻九呂后本紀(りょこうほんぎ)、大東急記念文庫蔵(五島美術館)の巻十一孝景本紀(こうけいほんぎ)の各1巻があり、いずれも国宝に指定されています。これらは年代が明記された『史記』の最古の写本で、大江家相伝の証本として、紀伝道における大江家の学問を知る基礎資料となる貴重な書とされます。
このように本書は、日本文化史上の貴重書といえますが、同時に、漢文訓読という観点から、日本語の歴史を明らかにするためにも重要なものです。
日本において漢文の受容にあたっては、最初は外国語としての漢文(中国語)を外国語として読んでいたと思われますが、長く漢文に触れることによって、漢字の読み方の一つとして訓が成立すると、それを利用して漢文訓読という翻訳システムが生まれました。それは漢文を日本語として読む(高等学校「国語」の漢文としておなじみの)方法です。これは、日本語の語順に合わないところは返読し、漢文の行間に読み方(傍訓)を書き入れ、また、てにをは(助詞類)をヲコト点という記号を付すことによって補うという方法です(図3・4)。そのような書き込み(これを加点といいます)をおこなった資料を訓点資料と呼びますが、この孝文本紀は、まさにそれにあたるもので、延久5年以降3度にわたり加点されています(訓点資料は、寺院でも仏教の漢訳仏典等を訓読したため、仏教世界にもあります)。
そして、この訓点資料が日本語の歴史を明らかにするのに役立ちます。日本語の歴史のための資料としては『源氏物語』なども有益なのですが、文芸作品は転写を重ねるのが常で、後代のことばの混入がないとはいえません。これに対して、訓点資料はそれが仏教の聖典であったり、博士家の家学の相伝のために書写・加点時の本がそのまま残っているので、その当時の語や文字の形がそのままみられるのです。また、この漢文訓読から行間書き入れ用の文字としてカタカナが生まれてもいます(図5)。これらが日本語の歴史の資料となるわけです。そういう点で、この『史記』孝文本紀のような訓点資料は、日本語の歴史を考える際の重要な資料となっているのです。