東北大学 文学研究科・文学部 Digital Museum 歴史を映す名品

東北大学附属図書館・漱石文庫 夏目漱石関連資料

日本文学 准教授 仁平 政人 Profile

図1:東北大学附属図書館・漱石文庫の概観

東北大学附属図書館には、作家・夏目漱石(1867~1916)の旧蔵書と、自筆資料、遺品などが「漱石文庫」として収められています(図1)。元々これらの蔵書や資料は、東京・早稲田南町にあった漱石の旧宅(「漱石山房」)に保管されていたものですが(図2)、第二次世界大戦中に災禍を避けることが図られるなか、漱石の元弟子で本学附属図書館長であったドイツ文学者・小宮豊隆(こみやとよたか)の尽力により、東北大学に委譲されたものです。(ちなみに漱石山房はその後、1945年5月の空襲で焼失しています。)

漱石文庫には、自筆資料として小説『吾輩は猫である』や『道草』などの原稿・草稿・メモ、イギリス留学時の日記をはじめとした日記・手帖・ノート類、また学生時代の答案・英作文など幅広い資料が収められています(図3)。それらが漱石の人物像や英文学者・作家としての活動を物語る、貴重で興味深いものであることは言うまでもないでしょう。ですが、漱石の文学を研究する上では、彼の蔵書もそれらに劣らず重要な意味を有しています。

図2:漱石旧蔵図書に捺された蔵書印(朱文方印「漱石山房」)

図3:原稿「吾輩は猫である」序文 1905年9月

漱石の蔵書は洋書約1650冊、和漢書約1200冊。その多くは当時入手しやすかった廉価本(れんかぼん)やペーパーバック、古本などで、本自体として貴重なもの(稀覯本など)はあまり含まれていません。しかし重要なのは、漱石がそれらの書籍を読み込み、随所に傍線や印を付け、また余白に膨大な量の感想・短評などを書き込んでいることです。すなわち漱石の蔵書には、学者・作家としての彼の思考や関心が刻み込まれているのです(図4)。

わかりやすい例として、ある一冊の書き込みに目を向けましょう。Henrik Ibsen“Little Eyoif”(ヘンリック・イプセン『小さなエイヨルフ』)という書籍には、表紙を開いた見返しに次のように記されています――「アマリ面白カラズ。コレ丈ノideaガアレバモツトウマク書イテ見セル」(図5)。

図4:Maupassant(モーパッサン),WorksのうちTallow-ball(首飾り)の書き込み

図5:Ibsen(イプセン),Little Eyoif(小さなエイヨルフ)の書き込み

ヘンリック・イプセンは近代劇の創始者と称されるノルウェーの劇作家・詩人であり、漱石文庫には『小さなエイヨルフ』のほか、代表作『人形の家』などイプセンの著作(英訳書)が計9冊収められています。漱石は『草枕』で「北欧の偉人イブセン」と呼ぶなどイプセンを高く評価するとともに、作家として強く意識し、繰り返し言及を行っていました。そのことを踏まえたとき、『小さなエイヨルフ』に対して「idea」を評価しつつも「自分ならもっと上手く書いて見せる」と述べる書き入れは、漱石の作家としての自負と、またイプセンとは異なる表現上の志向を示唆しているとみられるのです。

漱石は小説の創作において、「他(ひと)の書いた書物」と対話し、そこから「インスピレーション」を得ることを重視した作家でした(談話「人工的感興」(1907年)参照)。そうした意味で、漱石の蔵書は彼の文学の源泉であるとともに、その生成のプロセスの一端を現在に伝えていると言えるでしょう。そしてそれは、漱石の文学を新たに読み解く上でも、私たちに豊富な手がかりを与えてくれるのです。

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日本文学 准教授 仁平 政人