東北大学 文学研究科・文学部 Digital Museum 歴史を映す名品

東北大学附属図書館・国宝 『類聚国史』
巻二十五 帝王部第五

日本史 教授 堀 裕 Profile

図1:本資料を納めた塗箱

『類聚国史(るいじゅうこくし)』は、菅原道真が編纂した歴史書です。道真は、寛平5年(893)1月には、宇多天皇から編纂の命を受けていました。この書物の形式は、中国の会要、類書にならい、『日本書紀』から始まる6つの「国史」の記事を、内容毎に分類、つまり「類聚」したものです。その目的は、編年体で記された歴史書を簡便に調査することにあったと考えられます。

東北大学が所蔵する『類聚国史』巻二十五は、神祇部に続く、帝王部の第五にあたります(図1・2)。帝王部の第一から第四は、歴代天皇の誕生や即位、死没・譲位などの記事があったと考えられます。そのあとの第五は、前半の「太上天皇(だじょうてんのう)」の項目に、持統天皇以下11人のおもに譲位と死没に関する記事があり、後半の「追号天皇」の項目には、岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと・草壁皇子)以下4人が、没後に天皇号を与えられたことなどが記されています。

『類聚国史』は全部で200巻からなりますが、今は写本61巻と逸文が伝えられています。本巻は、加賀前田藩に伝えられ、現在は前田育徳会尊経閣文庫(そんけいかくぶんこ)所蔵になる4つの巻とともに、平安時代の終わりから鎌倉時代に書写されたとされる古写本のひとつです。装丁は、巻子仕立てで、新表紙と、本紙33紙からなります。

本巻はもともと壬生家(みぶけ)の所蔵でした。それは、旧表紙であったとも推測される別紙の外題部分に、「類聚国史巻第廿五 壬生官務旧蔵」と記されていることなどが根拠となります(図3)。壬生家旧蔵本は、ほかにも尊経閣文庫所蔵の古写本(巻百七十一・巻百七十七など)が伝えられています。

図2:『類聚国史』巻二十五 帝王部第五(巻頭)

図3:旧表紙と推測される別紙の外題

尊経閣文庫には、江戸時代に作られた模本もあり、本巻の模本も含まれています。興味深いのは、巻十四の模本には、本巻と同じ「見了(花押)」の奥書と、それと同筆と見られる鼇頭(ごうとう)(本文上部)注記があることが、指摘されている点です(図4・5)。巻十四模本の元になった巻子は、伝えられていませんが、それは、本巻1巻のみが、東北大学所蔵になっていることとも関係すると推測されます。つまり、ある時点から、巻十四と巻二十五は、他の巻とは離れ、一緒に伝来していた可能性が考えられるのです。

本巻の文字を観察すると、比較的丁寧に写されている尊経閣文庫所蔵古写本などと比べると、趣がやや異なります。明らかな誤字・脱字のほか、異筆とみられるものも含め、本文の筆致は実に多様です。また、初めから朱の汚れが付いた紙を料紙として利用している点にはやや驚かされます。本巻は、これを写すために用いた元の写本に問題があった可能性を差し引いても、内容への理解不足や、書写における慎重さが欠けるようです。尊経閣文庫所蔵古写本とは料紙の大きさが異なることも含め、他の壬生家旧蔵本とは、違う性格を持っている可能性が考えられるのです。

図4:末尾にみる「見了(花押)」

図5:鼇頭(本文上部)の注記

ところで、「壬生官務家(みぶかんむけ)」とは、太政官の事務を担う弁官首座(べんかんしゅざ・官務)を継承する小槻氏(おづきし)を指します。官務小槻氏は、太政官に関わる公文書を管理しており、公卿等から諮問があった場合、記録を調査・回答する必要がありました。そのため、蔵人の必携書のひとつと記された『類聚国史』を所蔵していても不思議ではありません。また、東北大学には、延久5年(1073)に書写した『史記』巻十も所蔵されています。こちらは、紀伝道(きでんどう・文章道)の大江氏が書写し、代々加筆・校正、訓読をしていたことが分かります。ともに、家業に関わる書物を家が伝えてきたという点で、中世の宮廷文化を象徴する書物と言えます。両巻が、それぞれ家の手を離れたのち、狩野亨吉(かのうこうきち)氏の収集を経て、東北大学の所蔵に帰したということは、各時代における文書管理の歴史を象徴しているといってもよいでしょう。

なお、上記の内容には、遠藤みどり氏(お茶の水女子大学)との共同調査の成果の一部が含まれています。後日、氏による調査報告の公刊が予定されています。

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日本史 教授 堀 裕