沿 革

1922(大正11)年 8月 東北帝国大学法文学部設置
1949(昭和24)年 5月 学制改革により東北大学文学部として再出発
1973(昭和48)年 9月 現在地(川内キャンパス)に移転
1997(平成 9)年 4月 学部を改組して人文社会学科の一学科に統合
2000(平成12)年 4月 大学院重点化整備が完了
2002(平成14)年10月 文学部創立八十周年記念式典を開催
2004(平成16)年 4月 国立大学法人東北大学大学院文学研究科に移行
2019(平成31)年4月 研究科を改組して4専攻から3専攻に再編

片平キャンパスに立つ
「法文学部発祥の地」の碑

東北大学 文学部・文学研究科の歴史ビデオ

法文学部時代

旧法文学部1号館(片平キャンパス)

東北大学に正式に「文学部」が生まれるのは、昭和24(1949)年の文部省令による新制大学発足の時点であるが、その淵源はいうまでもなく、大正11(1922)年の法文学部開設にまでさかのぼる。明治40(1907)年の理科と農科からなる大学創設に遅れること14年、明治期日本の近代化が理科系偏重裡に行われたことへの反省と、高等学校の普及による大学志望者数の増加などの社会的要請が、広く人文系の人材を教育するための大学学部の設置を実現させたのであろう。東京大学など先行する帝国大学には、すでに法学部、経済学部とならんで文学部が設けられていたが、本学においては狭い専門領域に教育を限定することを避け、幅広い教養教育をめざして法文学部が構想された。創立委員長には京都大学法学部佐藤丑次郎教授が任じられ、大正9年頃設立準備に着手し、上記の通り大正11年に実現したのである。

山田孝雄

法文学部開設時、文学系の講座は全5講座で、その内訳は史学2、哲学1、印度学1、心理学1、であった。翌大正12(1923)年に倫理学、美学、文化史、支那学、そして教育学各1講座が設けられた。この頃の教授陣には美学の阿部次郎、支那学の武内義雄、印度学の宇井伯寿、哲学の石原謙、文化史の村岡典嗣、西洋史の中村善太郎などの名がみえる。その後も講座増設は続き、大正13(1924)年に史学1、哲学2、宗教学1、西洋文学2が、その翌年には社会学1、史学2、印度学1、支那学1、国文学2、の各講座が加わった。この頃ドイツ文学担当として小宮豊隆が迎えられ、また国文学第二講座(国語学)に尋常中学中退の経歴しかもたない山田孝雄を招いたことは、異例の抜擢として注目を浴びた。大正14(1925)年には図書館も完成し、文学にかかわるものとしては狩野文庫が購入され、ヴント、シュタイン、チイテルマン、ゼッケルなどの洋書個人蔵書も購入された。[附属図書館サイト内 主要特殊文庫一覧へ]

学部の名称は法文学部となっていたが、当初より学士号としては法・経・文の3つがそれぞれ与えられた。最初の文学士は大正15(1926)年に生まれ、その数11名、うち女子が2名であった。また昭和8(1933)年からは3つの科で必修科目をそれぞれ独立させて履修させるようになり、3学部独立の要因が整っていった。昭和16(1941)年に史学(国史)1講座が新設され、文科全体で25講座となったが、日本の太平洋戦争突入で東北大学そのものがしばらくは苦難の時代を経験することになる。

戦後の学制改革から平成へ

戦後、大学も新体制への移行がはかられ、昭和24年5月新制大学としての東北大学の再出発に際して、法文学部は3つの学部に別れて独立し、教育学部もこれまでの文科系から新たに独立した。文学部24講座は文学科、哲学科、史学科の3学科編成となった。その後、旧講座の名称変更や専攻分野による分割などが行われたが、新設のみについて言えば、昭和28(1953)年に西洋文学第三講座(フランス文学)、昭和32(1957)年に考古学講座、昭和35(1960)年に社会学第二講座、昭和37(1962)年に英語学講座、昭和40(1965)年に言語学講座、昭和49(1974)年に社会心理学講座が設けられた。そして昭和56(1981)年、社会学・心理学をあわせて社会学科が生まれ、昭和57(1982)年に行動科学基礎論講座が新設されてこれに加えられた。昭和63(1988)年言語学講座と国語学講座が文学科から編成替えされて日本語学科となった。同学科はその後増設され、平成元(1989)年言語交流学講座、日本語教育学講座が、平成2(1990)年現代日本語学講座が、平成3(1991)年現代日本論講座が設けられた。さらに平成4(1992)年には行動科学応用論講座が増設された。

平成5(1993)年教養部が廃止され、旧教養部教官8名が分属あるいは他研究科との兼任として文学部のメンバーとなったため、いくつかの講座が再編成された。文化人類学講座(社会学科所属)と日本地域史論(史学科所属。担当者は国際文化研究科と兼任)が増設され、理論社会学講座と応用社会学講座が合して大講座の社会学講座に、心理学講座と社会心理学講座が合して大講座の心理学講座に、またドイツ文学講座とフランス文学講座もそれぞれ大講座となった。以上により、文学部は5学科36講座となった。

平成9(1997)年4月には、文学部の学部改組が行われた。その結果、学科は人文社会学科の一学科、講座は16大講座への移行がなされた。36の小講座に代わる16大講座とは、以下のようである。日本文化学、日本史学、中国文化学、東洋史学、インド文化学、西洋文化学、ヨーロッパ史学、言語学、日本語学、日本語教育学、哲学、美術史学、社会学、行動科学、心理学、人間文化科学。大学院整備重点化の前提となるこの学部改組によって、これまでの個別専門分野中心の履修から、幅広い選択的履修が可能となった。

施設建物については、昭和48(1973)年に片平キャンパスより川内の現キャンパスに移転してきたが、その後社会学科独立と講座増にともない、昭和58(1983)年経済学部との合同研究棟が完成し、社会学・心理学・行動科学及び考古学専攻が移った。また日本語学科の独立にともない、平成3(1991)年には法学部との合同研究棟が完成し、言語学・国語学・日本語教育学専攻が移った。なお文・法合同棟建築に際しての発掘調査では、江戸時代伊達藩屋敷の遺跡がみつかり、多数の貴重な埋蔵文化財が出土した。その後、川内南地区の文系4学部が相次いで大学院重点化して、大学院学生、教員が増えたことに伴い、新しい研究棟建設の計画が進み、平成11(1999)年度に総合研究棟(11階建て)の建設が決定、現教育学部棟と文系(文・経)合同棟との間の空き地で、平成12(2000)年12月に着工、平成14(2002)年に竣工した。平成19(2007)年には懸案だった文学研究科棟の全面改修工事が実現した。平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災では文学研究科も被災したが、その3年前に耐震補強工事を終えていたことも幸いして、甚大な被害はなかった。震災後の平成27(2015)年4月には、旧法経講義棟を建て替えた文系四部局の総合講義棟が竣工した。

大学院

インドネシア大学
大学院学部との交流協定書

東北大学大学院文学研究科の設置は第二次大戦後であり、昭和28(1953)年4月に学部講座を基礎として設置された。大学院には、学部における学科ではなく、研究分野の状況に応じた専攻がおかれた。設立当時は13専攻あったが、その後専攻の組み替えや増設があり、最近では平成4(1992)年に日本語学専攻が設けられ、全15専攻となった。内容は、国文学日本思想史学・日本語学(言語学・国語学・日本語教育学)・英文学英語学・ドイツ文学ドイツ語学・フランス文学フランス語学・哲学・実践哲学(倫理学・宗教学宗教史)・社会学(社会学・行動科学)・心理学・美学美術史学(東洋日本美術史・美学西洋美術史)・印度学仏教史学・中国学(中国文学・中国哲学)。国史学(国史・考古学)・東洋史学・西洋史学、である。各教官は学部数育を行うとともに大学院において高度な研究と研究者養成を行い、多くの専門研究者を生み出し、各分野の学問において独創的な研究を公けにしている。欧米や中国など外国の学者の招聘やインドネシア大学大学院への本研究科教官の派遣など国際的な学術交流も盛んである。

平成8(1996)年度には、大学院前期課程に社会人リフレッシュ・コースが導入された。夜間開放を前提とした社会人の大学院進学は、留学生の学位取得希望者とともに、大学院学生の多様化をもたらした。また同年、東北歴史資料館との連携・併任分野「文化財科学」が設置され、さらに東北アジア研究センターの開設に伴い、同センターの協力教官による教育分野(比較文化史学。科学技術論)も加えられた。

平成9年度の学部改組と並行して、大学院の専攻再編を行った。これは大学院整備、重点化の前提を構築する大切な過程であった。この改革によって15専攻は、文化科学、言語科学、歴史科学、人間科学の4専攻へと再編された。かくして4専攻内の学際的共同研究が容易になるとともに、各専攻独自に自然科学や隣接社会科学との先端的、学際研究を推進していく組織的な体制が整備された。学部改組による実験講座の拡大(新たに歴史、宗教学、文化人類学)や教授ポストの充実によって、大学院重点化のステップが完成した。

平成5(1993)年以来の学位授与促進のためのカリキュラム改革、また教官、学生の意識改革によって、この時期から課程博士の授与件数が飛躍的に増加した(平成12年17、平成13年18、平成14年27)。平成15年3月時点での修士課程修了者は2,507人。平成15年12月末現在の課程博士の数は164件、論文博士授与件数は通算205件であった。

大学院整備は、学部教授会に管理・運営の中心を置く体制から大学院教授会へ管理・運営の重点を置く体制への移行を意味していた。それはとりもなおさず、文学研究科の先端的、学際的、国際的な研究成果を大学院のみならず学部教育にも還元する体制を構築するために他ならない。平成8年度にスタートした連携・併任分野「文化財科学」や同年に発足した東北アジア研究センターからの協力関係の進展は、学部教授会では対応できない研究・教育上の計画を必要とするものであった。また学術交流協定を締結している外国の大学院、研究機関との交流も、恒常的かつ組織的な共同研究体制を大学院レベルで整備していくことを要求している。学位取得を目的とする外国人留学生の本研究科への進学も定着している。他大学の大学院修士課程整備に伴い、本研究科後期課程への進学希望者も増加している。このような多様な大学院学生の学位取得の希望を達成させていくためのカリキュラム改革(平成8年、前期「課題研究」、後期「博士論文研修」)や課程博士年限内での学位授与を保障するための組織的な指導体制整備もなされ、その結果、課程博士号の授与数は急増することとなった。

これらの実績を踏まえて大学院重点化は実現していった。平成11(1999)年度に文化科学、言語科学の2専攻が、12年度にのこる歴史科学、人間科学が重点化した。12年度には東北アジア研究センターからの、比較文化史学、科学技術論の2協力講座が設けられた。これによって東北大学大学院文学研究科・文学部の教育研究組織は新しいスタートを切った。大学院の学生定員は1学年前期89名、後期45名に増えた。社会人リフレッシュコース、社会人研究者コース、留学生受入等により、社会と世界に開かれた大学院教育の体制が整った。インドネシア大学大学院学部との学術交流は毎年大体3名の本研究科教官を派遣して成果を挙げ、海外からの研究員の招来も盛んに行われ、世界に研究成果を発信する姿勢も強まった。

平成16(2004)年にすべての国立大学が法人化され、文学研究科も新しい体制のもとでスタートを切った。これまで以上に教育研究活動の主体性が求められる時代になり、科学研究費補助金をはじめとする外部資金の導入はもちろん、大型プロジェクトによって研究を推進し、成果を発信することも、いっそう活発に行われるようになった。平成12(2008)~13(2001)年度に人間科学専攻が教育研究拠点形成支援経費を得て実施した「人間科学における画像等多様メディア情報の高度運用システムの構築」プロジェクトを皮切りに、平成15(2003)~19(2007)年度には21世紀COEプログラム「社会階層と不平等研究教育拠点の形成」が採択された。これは平成20(2008)~24(2012)年度のグローバルCOEプログラム「社会階層と不平等教育研究拠点の世界的展開」へと継承され、10年に及ぶ事業期間を通じて大きな成果をあげた。この他にも、平成15(2003)年にスタートした日本学術振興会人文社会科学振興のためのプロジェクト研究事業「医療システムと倫理」、平成17(2005)~18(2006)年度の魅力ある大学院教育イニシアティヴ「言語研究者・言語教育者養成プログラム:非日本語母語話者を主たる対象とした取組み」、平成20(2008)~22(2010)年度の組織的な大学院教育改革推進プログラム(大学院GP)「歴史資源アーカイブ国際高度学芸員養成計画」など、様々なプロジェクトが採択され、外部資金を得て高度な教育研究実践を展開してきた。大学院GP「歴史資源アーカイブ国際高度学芸員養成計画」は、採択期間終了後も、関連分野が連携してキュレイター養成コース・アービスト養成コースという二つの教育カリキュラムを継続し、高度学芸員の養成に貢献した。

研究活動と国際交流

『文化』創刊号表紙

文学研究科教官の研究成果は、『東北大学文学研究科研究年報』(昭和25(1950)年 創刊)と発行を支援している学術雑誌『文化』(昭和8(1933)年創刊年2回発行)に掲載されるほか、それぞれの専攻分野で組織されている学会等から学術機関誌が多数発行され、本学部関係者の研究業績が広く紹介されている。これらの定期刊行物とは別に、本学所蔵のデルゲ版西蔵大蔵経の目録が「西蔵大蔵経総目録」として昭和9(1934)年に、さらに蔵外文献の「西蔵選述仏典目録」が昭和28(1953)年に刊行され後者は昭和30(1955)年度の学土院賞を授与された。

また文学部には昭和30(1955)年東北文化研究室が設置された。この研究室は学部長を室長とし、東北の文化、社会、宗教等を研究分野とする本学部教官が室員として活動し、研究会・講演会等を開催する他に報告書「東北文化研究室紀要」も刊行して、東北地方の文化の研究と振興とに貢献している。

カール・レーヴィト

国際面での文学部の積極的な姿勢も特筆される。はやくより外国人教師を迎え入れ、ドイツの哲学者カール・レーヴィ卜などが教鞭をとった。現在も学術振興会など、さまざまな方法により外国人研究者が招聘され授業を行い、共同研究を行っている。外国人留学生への門戸も開放されており、アジアからを主に数多くの学生が学んでいる。平成14年(2002)5月時点で大学院後期課程に28名、前期課程に18名など、研究生等も含めて総計76名を受け入れている。また本研究科は、平成2(1990)年に、ローマ大学ラ・サビエンツァ、ならびにインドネシア大学大学院日本地域研究科と、それぞれ、大学間協定、部局間協定を締結して以降、多くの大学・研究所と積極的に交流し、部局間協定、大学間協定の締結を促進してきた。交流の形態としては大学院レベルでの研究者の交流・研究プロジェクトの共同推進、学生の交換、資料・学術情報・刊行物の交換などがある。平成30(2018)年時点で、大学間交流協定の世話部局となっている提携校が13、同じく関係部局として交流している相手先が23、部局間交流協定の締結数は35にのぼっている。

〔附属日本文化研究施設の廃止と東北アジア研究センターの発足〕

阿部次郎

文学部には、昭和37(1962)年に日本文化研究施設が設置され、長年にわたり日本文化の国際的比較研究に顕著な業績をあげてきた。昭和37年に基礎部門が、翌年には日本と東洋の文化の比較研究を行う比較第一部門が、昭和44年には、比較第二部門が増設された。当初よりコロンビア大学のドナルド・キーン氏などが招聘されてきたが、平成2(1990)年には比較文化部門(II種客員)が増設され外国人客員の常時在籍により、世界水準の国際的な学術交流が推進された。またその成果は『日本文化研究施設報告』として刊行、内外に公表されてきた。

平成8(1996)年に文学部から独立した先端研究施設としての東北アジア研究センターが発足するに当たり、日本文化研究施設はその使命を終え廃止された。大学院整備重点化に際しては、東北アジア研究センターからの協力講座を得て、文学研究科の研究・教育が先端的、学際的そして国際的なレベルで展開されることとなった。

そもそも日本文化研究施設の母体は、美学講座初代教授故阿部次郎の厚志によるものであったが、同施設別館として利用してきた市内青葉区米ヶ袋の旧阿部邸を、総長の支援も得て、平成11(1999)年に新装し、阿部次郎記念館として開設。ゆかりの資料を展示し、市民にも公開するにいたった。

2010年代

平成23年(2011)年の東日本大震災では東北大学も大きな被害を受けたが、震災直後から、ボランティアによる被災地支援と並行して、大学としての特性を活かした数多くの復興支援活動を展開した。文学研究科のアクションの一例として、歴史資料の救済・復元活動を挙げることができる。その後この活動を広義の防災科学の一部として制度化する取り組みを進め、東北大学防災科学国際研究所との連携も強化した。平成29(2017)年には、東北大学・神戸大学・国立歴史民族博物館の間で「歴史文化資料保全の大学・共同利用機関ネットワーク事業」の連携・協力協定が締結され、文学研究科も積極的に参画している。震災後の文学研究科の活動の中でも特筆すべきなのは、平成24(2012)年に開設した実践宗教学寄附講座である(2019年度から第4期)。海外のチャプレンをモデルに、特定の信仰に依拠しない形で精神的ケアを行う「臨床宗教師」という専門職を創出し、教育と実践活動をリンクした活動を精力的に展開した。災害経験や超高齢化によって「死」を身近に感じるようになった現代人に対して、宗教学を基盤とした質の高い「心」のケアを提供しようとするこの試みは、社会的にも高い評価を受けている。

21世紀に入り、ICT技術の高度化やグローバル経済の展開に伴い、学問分野に立脚した従来型の大学院教育を補完しつつ喫緊の社会的諸課題に対応できる高度人材を育成する必要性が認識され、文部科学省の主導で新たなタイプのプログラム学位課程が相次いで設立されることになった。その皮切りとなった平成25(2013)年度からの「リーディング大学院・グローバル安全学トップリーダー養成プログラム」では文学研究科も主要な構成メンバーとなり、2018年以降、文学研究科所属学生の中からプログラム学位取得者を輩出している。平成31(2019)年度に開始した二つの学際的な卓越大学院プログラム(人工知能エレクトロニクス卓越大学院未来型医療創造卓越大学院)においても、複数の専攻から教員がプログラムに参画し、学生の関心も高い。

東北大学は平成29(2017)年に、最初の指定国立大学法人のひとつに認定され、特に研究教育の国際化を期待されている。教育面での主要施策として九つの国際共同大学院プログラムの設置が立案され、人文社会系からは文学研究科主導による「日本学国際共同大学院プログラム」が2019年4月に開設された。学内8部局の協力により新しいコンセプトの「日本学」を創出しようとする意欲的な試みで、内外から注目を集めている。これとの関連で文学研究科は、2015年以来、日本研究を主導するヨーロッパの主要な大学との間で、シンポジウム、ワークショップ、学術誌刊行等を通じた交流活動を精力的に展開してきた。この「支倉リーグ」は、2019年時点で約20の大学との連携組織に発展し、国際共同大学院における今後の学生交流や共同研究推進の基盤として機能することが期待されている。

2004年の国立大学法人化後も、文学研究科は大学院重点化時の体制を堅持し、質の高い教育を実践してきた。しかしこの間、学生の入学・進学動向に変化が起き、大学院の定員を充足できない事態が生じるようになった。また研究科をとりまく状況の変化として、日本に関心を抱く外国人留学生の増加、震災後の社会連携の活発化、文理融合研究の拡大といった特徴が顕著になってきていた。これらは研究科に対する社会からの期待を映し出すものであり、これに積極的に応えてゆくことが研究科の将来にとって重要であるとの共通認識が生まれ、2015年に研究科の組織再編の議論をスタートさせた。その後本格的な準備を進め、大学設置・学校法人審議会の認可を得て、平成31(2019)年4月に、日本学・広域文化学・総合人間学の3専攻からなる新しい研究科が始動することとなった。

現況と展望

国立大学は、2004年の法人化以降、6年毎の中期計画・中期目標に沿って運営される体制となった。もともと大学に自主性を発揮させ、それぞれの事情に応じた個性の多様化をはかることが法人化の目的であったはずだが、実際には、運営費交付金の縮減による財政逼迫が大学の自由裁量を奪い、加えて法人としての成果実績への厳しい評価とそれが交付金に反映される仕組みによって、大学も一般企業流の成果主義で縛られるようになった。2019年は第三期中期計画期間の折り返し点にあたるが、こうした流れはさらに加速される様相である。

こうした動向が、成果の出にくい基礎研究の衰退や若手人材の研究離れを招き、全体としてわが国の学術水準の低下をもたらしたことが、近年問題視されてはいるものの、グローバル化とイノベーション競争に翻弄される現代社会において、大学への要求がますます厳しいものになってゆくのは避けられないように見える。言うまでもなくそれは、人文学・社会科学にとっても大きな試練である。文学部・文学研究科は、「生き残り」をかけた変化の時代に突入したといって過言ではない。

おおらかに伝統の尊重をうたってきた文学研究科においても、特に震災を経た2010年代、研究科をとりまく厳しい状況が次第に認識されるようになり、組織再編の議論が起きてきた。もちろん、あまりに性急な状況適応によって教育研究の実質を損ねることがあってはならない。2019年の改組では、既存の研究領域(専攻分野)はそのままの形で残り、研究室を基盤とした教育体制も維持されている。ただ、これを支えるための人的・物的な資源が細ってゆく状況の中で、現在の形が今後も保持できる保証はない。「○○学」という分野が自己完結的に存続することは、おそらく困難である。それは、単に財政的な理由からというより、目まぐるしく社会が変化し、あらゆる領域で融合や革新が求められる時代において、特権的に古い自己同一性を保つことなど不可能だからである。それぞれの分野の学問伝統をどのような形で次の時代に繋いでゆくのか、むしろ自らの責任において自己変容する方途を探ってゆくことが求められている。

もちろん、文学研究科を構成する人文学・社会科学の各分野に対する社会の関心は決して小さいものではない。いつの時代も人は自らや他者が「何者なのか」を同定するために、思想・文化・歴史・社会についての認識を必要とする。それがなければ、次にどう進むべきかも正しく見通せないからである。その意味で、人文学・社会科学の知の「有用性」について、文学研究科はより積極的に主張してゆくべきである。21世紀は物から情報へと社会の原理が変わった時代である。情報が知を外形化するものだとすれば、知そのものに深く反省的に関わる学問の重要性は増している。現に、データ・サイエンスの隆盛の中で、従来の文系・理系的な枠組を越境する知的協働が進み、文学研究科の出番も増えてきている。伝統の泉を枯渇させない慎重さと、時代の要請に積極的に向き合う柔軟性をもって、明日の文学部・文学研究科のあり様を模索してゆかなくてはならない。

2003年までの記載内容については、『東北大学大学院文学研究科・文学部の現況 2004』(平成16年3月)を参照した。