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わたしの研究フィールド

最近の主な活動の場を、狭いところから広いところへ、順に記してみます。
詳しくは「研究業績一覧」のページを御覧ください。


(1)ポール・ヴァレリー
濃くつきあう時もあれば、しばらく離れているときもありますが、やはり、わたしの心のふるさとです。
主に、彼のデビュー作『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』をめぐって、
いろいろな角度(主に間テクスト性と生成論)から考察を加えてきました。
今後も、結局、回帰していくフィールドだろうと思います。
(短い文章ですが『現代詩手帖』ヴァレリー特集に載った
「私の方法へのアントロミッシオン」を御覧くだされば幸いです)。

ヴァレリーは未刊行資料の多い作家です。
わたしに可能な範囲で、丁寧な資料研究をやらねばならないと感じています。
最近では、共同作業でフランス国立図書館所蔵未刊手稿「ド・ロヴィラ夫人関連資料」の解読・翻訳、
個人研究として『註と余談』の手稿分析を行いました
(科研費研究報告書、ポール・ヴァレリー『註と余談』の生成研究を御覧くだされば幸いです)。

こまやかな内在研究に並行して、より広く、系譜論的な、あるいは、文化論的・文明論的な「比較」の視点を意識して、
ヴァレリーを読み直すことの必要も、この数年来、強く感じています。
ポストコロニアルな文脈における再読の試みじみたことに手を出したことはありますが、
全然駄目、甘過ぎる、と反省しています。

2008年度の大学院の授業ではヴァレリーの詩集『魅惑』から数編を読みました。後期は特に「海辺の墓地」を読みました。
2009年度と2010年度は「ヴァレリーと芸術家たち」とりわけ「画家」たちとの交流を中心に、文化史的な観点から、彼のテクストを
読み直しています。

(2)フランス象徴主義
ヴァレリーを通時的・共時的にとりまく「効果の詩学」(ポウ)の系譜、
ボードレール、マラルメ、ランボー、プルーストといった作家群に共通した言語芸術哲学(テクスト美学)に関心があります。
彼らのテクストでは、言葉が自立して自己主張している、という印象を受けます。
ヴァレリーが懐かしがる、或る熱烈な文学表現世代の「詩的言語の革命」とは何だったのか、
「新しいもの=未知なるもの」が賭けられた表現とは何だったのか、いつも気になっています。
わたしの不勉強のため、まだ、ろくな考察を残していませんが、
大学院の授業では、どうしてもマラルメに眼が行ってしまい、
しばらくの間、マラルメばかり読んでいました。
(そのひとつの記録として「『呪われた詩人たち』のマラルメ」という導入的な文章を書きました)。
このフィールドに関わる優れた研究者たちの論考をまとめて読みながら、
自分の問題意識をもっと具体化していくべきだと感じています。
また、象徴派美学との関連で、このところ、一般的な文学史への関心を深めつつあります。
2006年度はコンパニョンの『理論の魔』、2007年度はバルトの『批評と真実』を授業で読みました。
2008年度は再び作家のテクスト自体の読解に戻って、ボードレールの『パリの憂鬱』を読みました。
2009年度はヴァレリーの 『ユーパリノスまたは建築家』を読みました。


(3)クレオール文化論
一時の流行に誘われるかたちで、いわゆるクレオール文化論への関心が刺激されました。
ポストコロニアリズムとポストナショナリズムの融合の視点として、
また、タコツボフランス文学を相対化する視点として、クレオールがキーワードであることはたしかです。
しかし、わたしの場合、何が大切なのかがわかるまでに非常に時間がかかります。
大切なのは抽象論ではなく、具体的なひとつひとつのコトバだろう、ということを、ぼんやりと感じてはいるのですが、
導入的な文章(「クレオール文化学入門篇」)を書いた以外は、
まだ、掘り下げた成果を示すまでには至っていません。
師匠の恒川邦夫先生にくっついて、シンポを企画したり、島めぐりをしたりして、何を考えるべきかを考えているという状況です。
2010年10月5日、モントリオール大学名誉教授でカリブ海カルベ賞審査委員も務めておられる作家のリズ・ゴ―ヴァン先生が東北大学で講演(「文学のフランコフォニー――生成する列島――)をなさいました。クレオール文学・移民文学研究者の廣松勲さんによる見事な通訳と共に、たいへん有意義な勉強の機会になりました。これを機に、ながらくさぼっていた「クレオール文化論」の勉強を頑張らねば、と思った次第です。


(4)ヨーロッパ文化論
ヨーロッパへの関心は、クレオールへの関心と表裏一体です。
クレオールとは何かという問いは、そのまま、ヨーロッパとは何かという問いに跳ね返ります。
身の程知らずと知りながら、翻訳を通じて、少しだけ考える機会を設けています。
しばらく前に、ダニエル・バッジオーニの『ヨーロッパの言語と国民』という本を訳しました(2006年、筑摩書房刊)。
これが、ヨーロッパというシステムの歴史社会言語学的考察だとすれば、
アントワーヌ・コンパニョンの博士論文『第二の手、または引用の作業』(2010年、水声社刊)は、
ヨーロッパというシステムにおける「引用」という言説装置の現象学的・記号学的・系譜学的考察です。
二つの本は、わたしにとって、ヨーロッパというシステムを考えるうえで、相互補完的な関係にあります。
これからも、視野の広い著作をがんばって読んでいこうと思っています。

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